PVという指標がCVというものに変わろうとしている。
主に動画など、分散型メディアといったような形式のメディアに使われる概念ではあるが、この指標の存在によって今後さらに我々は複雑な指標を使い分けなくてはならないだろう。そして何より数字に踊らされることがあってはならない。
PVという数字はあくまで1つの指標
先日、本誌ではこんな記事を書いた。メディアの評価軸というのはPVばかりで、クライアントにも『うちは○○PVなんですよー』と広告の営業を行う。PVというのはあくまで一指標なだけであってそのメディアの価値を表すわけでも、顧客の満足度を示すものでもない。
たしかにPVは1番分かりやすい指標である。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。芸能人のスキャンダルを扱った記事の1PVの価値と、学術的な専門の知識を扱った記事の1PVの価値が同じであるわけがない。あくまでどのくらい見られたか、という目安だ。
消費者がどれほどの熱をもって見たか、どれほどその情報を信頼しているか、その情報によって行動に移ったか、といった事実はPVからは見えてこないわけである。
CVという新たな指標
そして、今やメディアの指標はPVからCVに移りつつある。PVがページビューならば、CVはコンテンツビューである。つまり、ページがどれだけ見られたか、ではなくコンテンツがどれだけ見られたか。例えば、動画がSNSでシェアされて見られたらそれはCVに含まれる。しかし、自分のところのページは見ないからPVではないという論法だ。
主に、分散型メディア(本誌で紹介した中ではLeTRONCなどがそれにあたる)と呼ばれる自社のページを持たず、SNSのアカウント(主にFacebook,Twitter,Instagram)でコンテンツを発信するメディアに対して使われる指標だ。
(中には、自社ページを持つものや、動画ではないものもあるが、便宜上自社ページについては考えないものとし、動画コンテンツを扱うものであると暗に仮定する。)
これらは、もはや自分のページに人を呼ぶことを目的としていない。SNS上でユーザーが自然な形で見てくれればいいということである。わざわざページを飛ぶ必要はないし、フォローさえしてくれればタイムラインの上に流れてきてユーザーを満足させることができる。
Facebookだったらシェア、TwitterだったらRTという具合に拡散される可能性も高い。
分散型メディアの生まれた要因とは
こうした分散型メディアが出てきた要因の1つとしては、FacebookをはじめとしたSNSのとった施策が影響している。Facebookはいち早くタイムライン上の動画を自動再生するようにした。つまり、スマートフォンやPCなどのデバイスでタイムラインを見ていて現れた動画は勝手に再生される。今までは再生ボタンを押していたが、それがなくても再生されるようになった。(音は流れないなどの配慮はもちろんしてある。)
そのことによって、ユーザーは手間をかけることなく動画に触れることができるようになった。今までだったらサムネイルを見て面白そうな動画ならば訪問して再生するという形だったのが、その場で勝手に再生されて、数秒見て面白そうだったらそのまま見続けるというスタイルになったのである。つまり、ユーザーが受動的でいられるようになった。
CVでより効果測定は難しくなる
しかし、このことでまた1つ懸念点がある。PV至上主義から、こと動画メディア、分散型メディアにおいてはCV至上主義になったのであるが、動画の再生回数(CVのこと動画の場合)というのは正確なものではない。タイムラインに流れてきて勝手に再生されたら1CVなのである。
PVは一応、そのページをクリックして訪問している。ただ、CVに関しては受動的である、受動的であるがゆえにユーザーは”見る”という意思をもって見ているかは分からない。
ある種、タイムライン上にスパムのようにめちゃくちゃに流せばCVは稼ぐことができる(しかし、ユーザーが見ているかどうかは分からない)、数字だけは伸びていくということが起こるわけである。CVという概念の存在によって、我々はメディアの影響力をさらに測りにくくなったということが言えるのではないだろうか。
今後、CVという数字が世に出回るだろう。この概念自体は正しい、ページに訪れたユーザーが全てではないし、SNS上でも見てくれたという数字は事実としてユーザーへの影響を持った1つの証左だ。ただ、数字のみを上げようとしたら裏技みたいなことができてしまうということになる。
メディアは数字ではなくユーザーを見るべき
それは言い換えれば、我々がメディアの影響力や効果を正確に認識することが難しくなるということである。本当にこのコンテンツを覚えていてくれるのか、楽しいと思ってくれているのか、それを計ることは難しい。
数字に躍らせられないためには、数字のその奥に必ず存在するユーザーを認識しなくてはいけないだろう。