鹿児島県知事の失言を受けて、『三角関数は必要だ!』という声が聞こえますが、
それって本当に本心から言っていますか?
鹿児島県知事の失言
鹿児島県の伊藤祐一郎知事が27日に開かれた県の総合教育会議で、高校教育の在り方をめぐり、女子に「(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「社会の事象とか植物の花とか草の名前を教えた方がいい」などと述べていたことが分かった。知事は28日の定例記者会見で「口が滑った。女性蔑視という話ではない」と述べ、発言を撤回する考えを示した。
出典 http://www.jiji.com/
この鹿児島県知事の失言とも言える発言を受けてネットは大いに盛り上がり、知事は撤回をしたわけですが女性蔑視につながる発言は政界では特に数多く見られます。
政界にはびこる女性蔑視
過去には、2007年1月27日に官僚の柳澤伯夫氏が「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と、女性を機械に例える発言をし大きな非難を浴びました。
この発言ほどではないものの今回の鹿児島県知事の発言は女性蔑視の意味合いを含んでおり、また高齢者の年代ではそういった考え方も大いに蔓延していることを物語っているでしょう。
政界では特に女性の進出が少ない現状があります。官僚も同様にして古くからのしきたりに従順で女性の進出が少ない世界だと言っていいでしょう。政界で戦ってきた人間だからこそ、男性社会だからこそ女性に対する敬意がかけてるように感じられます。
とはいえ、私は別に男女平等とか何も面白味のないことを思ったから記事にしたわけではなく、じゃあ『三角関数は女性には必要ない』という発言は本当に間違っているのか?ということを言いたいわけです。
あなたは三角関数を使ったことがありますか?
一度考えてみてください。あなたははたして三角関数を使ったことがありますか?僕は、受験生時代含め、三角関数をテストで用いたことも多くありますが特に実生活や事業などで三角関数を使ったことはありません。
クソ馬鹿だけど三角関数のおかげで水色んとこに目印つけてホールケーキ3等分とか6等分とか楽にできるようになった俺の邪魔をするな pic.twitter.com/VZHOFdZe4D
— NAOMI (@naomisbar) 2015, 8月 28
例えば、ツイッター上で出回っている”三角関数使えるぞ!”派の主張としてこんな発言があるんですが、これって本当に三角関数ですかね?
たしかにsin30°=1/2であることを利用していますが、それって30°が正三角形の内角の半分であることを利用すれば導けるわけです。あとは、山の高さを測るには三角関数を~とか言いますが、それも~°の三角形をコンピューター上に描いて実測すれば済む話です。
そもそも、”三角関数必要!”派の方々の主張する三角関数はsin~°=いくつとかそのレベルでしかなくて、それは別に三角関数の”定義”でしかないわけです。定義を覚えたところで何の役に立つの?それをそこまでして勉強するほどなの?ピザ切り分けるために三角関数ってあるの?って話なわけです。正弦定理とか余弦定理とかそういったことを勉強していきつく先がピザ切ったりするとか意味わかんねえなということになります。
当たり前ではあるが、三角関数は実生活に必要
当たり前の話ですが、三角関数は当然ながら実生活に生きています。そこはご安心して頂きたいです。本当に知事の言う通り三角関数はいらないわけではありません。
ただ、1つ言いたいのは、普通の方々に三角関数を使う機会はまずないしその使い道すら想像もつかないということ。web上の批判をちょこちょこ読んだのですが三角関数がどう応用され現代社会に生きているのかを知っている方はいませんでした。
三角関数は、今この画面を見たり、音楽を聴いたりすることに必要不可欠です。どういうことかというと画像や音楽、映像には三角関数が実は欠かせません。
話を少し戻しますが、三角関数は数学の中の概念ではフーリエ変換という分野に応用されます。その他の分野などではもちろん三角関数を使うことはあってもそれは便利だからとかそのくらいで特別三角関数が主役になることはありません。力学や設計などの分野でも使うんですが、まあsin~°=いくつの域をそう出ないものかなと。あんまり複雑にしてもあれなのではしょりますが三角関数の微分や積分をするくらいです。そのくらい高校生でもできます。
では、そのフーリエ変換とはどういうことかというと、三角関数とはそもそも波を表すのに都合がいいわけですね。y=sinxとかおくと、波が一瞬で現れます。その波を重ねあわせると様々な波長を表現することができます。で、細かい証明は省きますが、その波を重ねあわせると実は画像を作り出すことができるんですね。画像っていうのは1コマ1コマに分かれていてそれぞれに三原色による色付けがあるんですが(この場所は何色この場所は何色っていう色付けがめちゃくちゃ細かくあるわけです)、それをそのままデータに変換するとものすごい莫大な量になります。例えば100万画素の画像だとすると、1000000×256×256×256通りの画像が存在しうるからです。これでは画像を表示するにも時間がかかるし、データとして保存するにも重くなります。
そこで、波を100個くらい重ねることによってこの画像を近似することができます。細かい部分は難解なので省きますがそのことによってたった数百や1万程度の波に返還することができるんですね。それがjpgとかそういう拡張子と呼ばれるものです。映像や音楽も同様です。三角関数はそうした形で日常社会に貢献しています。
教育とはふるいである
女子に三角関数を教える必要はないと言った知事がいるが、男女に係らず全ての教育が全ての子供に与えられるべき理由がある。例えば99%の子供たちには必要ないだろうが、1%の子供にはその知識が必要で、その1%の子供が世界を進歩させる。学校教育とはその1%を見つけるためのふるいのようなもの
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 8月 29
ツイートの引用になり非常に恐縮ですが、的を射ていると思ったのがこの発言。別に全員が三角関数を理解している必要ないと思うんですよね。誰もがフーリエ変換を理解して音楽を聴かなくても頭のいいエンジニアがやってくれたならばそれでいい。飛行機なんていまだに原理が理解されていないわけです。原理も理解していないのにお前ら乗るなよ!とか言っていたらいまだに人間は馬車に乗っているかもしれません。
各々適材適所があるわけで、三角関数ができないのならば他の形で何かしら頑張って社会に貢献すればいい。だからこそ人間は発達してきました。
鹿児島県知事の発言しかり、失言は”間違いがなく正論であるかどうか”を基準に批判されますが、非の打ちどころのない論理的に正しい発言よりもどうすべきかという論点に焦点が当てられるべきではないでしょうか。
『女は三角関数を学ぶ必要はない』は完全に女性蔑視であり、私も間違いなく撤回するべきだと考えますが、『女性は数学の能力では劣っている傾向にあるのだからムリをして三角関数を学ぶ必要はない。それ以上にやるべきことがあるのではないか。』という発言だったら賛成でした。
人にはそれぞれ個性があります。男性は論理的思考力に優れ、女性は言語能力に優れます。三角関数は男性の方ができても通訳だったり外国語は女性の方ができます。男女は同じ扱いであり、全く同等であるべきだという考えから『女性だからって三角関数ができなくていいわけないだろ!ちゃんと勉強しろ!』と押し付ける教育自体に違和感を感じます。
もちろん男女という1つの指標で結論を出すのはナンセンスですが、『三角関数が苦手ならムリしてやらなくていい。それよりも自分ができることを伸ばそう』と言える社会であって欲しいと願います。