特にチャレンジングな分野ではきっと色んなところで批判を聞くことでしょう。
ところがそんな批判の多くは、というよりもほぼ全てが中身のないものです。なぜそう言えるのか話を展開していきましょう。
どこにでも現れる批判野郎
世の中どこにでも批判をしたり顔でする人間というのはいます。しかもそれは厄介な事にそれなりの知識を持ち、もっともなことを言い放ってきます。
そんな批判野郎の不思議なところは別にそれがなんの目的でもないことです。もし、親が我が子を止めようとして『そんなことうまくいくわけない』とも言うなら話は分かるでしょう。『俺はもっとこうしたいんだ』という意志があって訴えかけるのなら分かります。そういった目的がないにも関わらず批判野郎は様々な物事に対してもっともな批判を浴びせてきます。
そんな批判野郎は主に評論家みたいな顔をして批判を繰り出します。その内容は主に『そんなことうまくいかないできっこない』という内容。特に日本には多いような批判野郎ですが、なぜ彼らをそこまで批判に掻き立てるのでしょうか。
批判のモチベーションは自分のプライド
人を批判するということには理由があります。心理学的な位置づけでそれは『自分を大きく見せること』です。人を批判することによってその対象よりも自分は優れているんだぞということを誇示するために人は批判を行います。それは、承認欲求に根源をなす人間の持った本能なのでしょう。
そんな『批判』ですが、実はもう少し違った役割を持ったものも存在します。それは、『希望的観測からなる事実認定』です。有名な話に確証バイアスというものがあります。
人が仮説や信念について検証する際にそれを確証づけるような情報のみを集め、反証するような情報を無意識のうちに除外して考えるようになること。
例えば、『自分の気に入っている商品があったとしてその商品のレビューのうちいいもののみを拾い出して見てしまう』などはよくある事例の1つ。
この確証バイアスが示すように、人は『こうである』と決めたらそのことに合致した情報しか受け入れません。要は、希望的にこうであるだろうという仮説を立てたとき、その仮説を補強するように情報を集めていき、その結果仮説は必ずその人間の頭の中では立証されてしまうことになります。自分がこうなって欲しいと願ったことが結果として『こうなるに違いない』に変わり、それが非常にもっともらしい批判に変わるということです。
人は自分を守るために批判を繰り返す
もっと話を突き詰めていきましょう。『~なんてうまくいくはずがない』という批判については実は2つの可能性が考えられます。
1つは、自分がそれはできなかったのだから他の人間もできるはずがないということ。例えば、起業をしたくてもできなかったもしくは失敗した人がいたとしましょう。そんなときこの人は『起業とは難しいし割に合わない』という仮説を立てます。そしてその仮説は確証バイアスによってどんどんと支持され、もっともらしいものへと変わります。そのとき、『起業とは難しいし割に合わない』ということを言うことによって”起業できなかった(失敗した)自分”を大きく見せることができます。だってそれだけ難しいし困難であるのだから。いわゆる自己の正当化のための批判です。
もう1つは、自分はこんな難しいことができたんだよということ。”(自分はできたけど)こんなに難しいんだからやらない方がいい”というような意味合いを持っています。先ほどの自分ができなかったことを正当化する場合は、確率論からなる話が多いですが、この場合は経験談に基づくものが多いです。よりリアリティのある話と共に批判というよりも、『大変だよ』という論調のときはこんな場合が多いです。
ネガティブな発言には裏がある
実は他者へのネガティブな発言というのはポジティブな発言とは意図が異なります。ポジティブな発言というのは通常コミュニケーションの一環として使われます。ポジティブな内容を話しているとお互い気分がいいからポジティブに話すわけです。ところが、ネガティブな発言というのは先程の例の通り、自分を大きく見せたり自己の正当化をするために行います。
だからこそ自分がその対象者ともなる批判、例えば起業をしたいのに起業なんてうまくいきっこないと言われたなどの場合は素直にあてにする必要はありません。そいつはあなたのためを思って心の底からアドバイスをしているわけでもなく自分のために話をしているだけなのだから聞き飛ばしていいでしょう。
自分の決断をするときはそんなただのネガティブな批判よりも確たる事実のみをしっかりと追った上で判断をしましょう。世の中には老害にあたる人間が腐るほどいます。そしてそいつらは自分のことしか考えていないし言うことに責任の1つも持ちません。自分がその一瞬を気持ちよく生きるために生きているようなやつらなのです。ただの批判のために優秀な芽が摘まれないことを切に願います。