震災においてマスコミの存在は非常に大きいでしょう。
ただ、その一方で批判されることもしばしばです。マスコミは被災地の邪魔者なのでしょうか。
被災地で多くの批判を浴びるマスコミ
4月14日に発生した九州地方での大地震は、多くの被害を九州地方にもたらし、今もなおその状況は続いています。私は東京にいるので、直接被災地の様子を知ることはありません。その情報手段はTwitterだったり、インターネットの他のサービスだったり、テレビ番組になるわけです。
このテレビ番組が今回の問題なわけですが、キー局には被災などの有事の際には、その実情を報道することが義務付けられています。マスコミの役割としてそういった形で多くの人々が情報を得ることができるというのは頷ける話です。そして、マスコミからしても視聴率のとれる題材ですし、当然被災関連の報道は多くなります。
そのマスコミが問題になっているのですが、彼らは常に国民に歓迎されているわけではありません。被災者にとってマスコミの過剰な取材が生活に支障をもたらすことにもなります。例えば、ヘリコプターによる空撮によって被害の大きさを俯瞰して見ることができますが、『マスコミのヘリの音がうるさすぎて埋もれた人の声が聴こえない』というものです。
“マスコミが被災者の命に対して真摯に考えていない”とは言いません。ただ、もしかすると過剰な報道によって失われた命があるのかもしれません。こうした非常事態だからこそそういった可能性は無視できません。
マスコミによる弊害
マスコミのヘリに関してはもしかすると大げさかもしれません。ヘリはマスコミだけでなく消防や自衛隊のものも存在します。マスコミだけがそれに該当しているかというと難しいでしょう。ただ、夜中にもヘリで照らされるせいで寝付けないという声などよく聞かれるものもあります。他にも、食料がマスコミのせいで現地の人々に行き渡らなかったり、現地で写真を撮ろうとして被災の妨げになっているなどの話も多く聞きます。
マスコミによる被害がどれだけあるかということを考えるとその影響はさしたるものではないでしょう。食料についてもマスコミの人間分の数というのは、それほどの量ではないし、そこまで大きな影響というもの考えにくいです。
しかし、マスコミの人間が『弁当をやっと手に入れた』というツイートをした瞬間に『なにお前が食べているんだ』という批判が飛んだように、倫理的な面では疑問であります。マスコミの存在がはたして被災者の助けになっているのか
、それよりも圧倒的に視聴率というビジネス面の目的が大きいのは言うまでもないでしょう。
要するに、『マスコミが傲慢で、被災者のことなど大して考えていない』のです。多くの場面で倫理的な観点が疑われる状況が現れるのもそれを示しているでしょう。マスコミがそれほどまでに邪魔になっているかは知りませんが、マスコミが被災者の味方でないのは事実です。
マスコミに欠ける本当の意味での善意
しかしながら、マスコミには存在意義がないわけではないということ。マスコミによる報道でその視聴者が実情を知ることによって多くの支援物資や寄付金などは集まりやすくなります。まあそれはそれで無視できないことでしょう。それに対してマスコミがどれだけ寄与しているかは謎です。支援物資は集まりやすくなっても結局のところ届ける手段が足りてないと言います。
『今足りないものはなんですか?』とマスコミが被災者に聞くシーンがよく出てきます。あれにはうんざりです。本来的に足りないものがあるのならばそれは政府やら自衛隊やらが情報を管理して届ければいいわけです。支援物資も仕分けに時間がかかって意味がなかったり、届く頃にはコンビニなどの営業が再開して必要なかったりします。
要するに『なんか役に立ちたい!』という視聴者のニーズに基づいたものなのです。
本当の意味で役に立っているとは言えないでしょう。今後どう変わるかに注目です。