セールスを学んだ18歳に舞い込んだチャンス


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ナンバーワンセールスマンになるためにした3つのことについては以下の通りですが、
そのおかげで大きなチャンスが舞い込むこととなりました。

ナンバーワンセールスマンになるためにした3つのこと

セールスのおかげで最低限人脈を築けた

セールスを学んだことで非常に大きなものを得ることができました。もちろんお金もセールスのスキルもそうですが、自分にとって大きな転機となったのはなんといってもその人脈でしょう。

セールスとなれば様々な人間と接することとなります。自分の場合は月に100人には会っていました。それらは全てビジネスマンや会社経営者ですから、やればやるほどにどんどん知り合いは増えることとなります。そして問題は、人脈というのはただの知り合いとは違いますから、仕事につながるような人脈でなくてはいけません。

それもまた、セールスのおかげでそのとき18歳だった自分には『売ることならば自信があります』という状態が出来上がっていました。それだけで信用の度合いというのはぐっと上がるものです。様々な人と仕事の話を少しですができるようになりました。『こんな事業をやっているんだ』という話をしてもらうだけで当時の自分からしたら本でもネットでも聞けないビジネスについての話を聞けました。やはり人が話す知識の方が生きた知識で役に立つものです。

舞い降りたwebのチャンス

そんな中、よく飲みに誘ってくれる先輩経営者がいました。その方がIT企業を経営していたことからITの分野に興味を持つようになりました。当然ずっと営業のみをやるつもりではなく、どこかしらでステップアップしたいと考えていましたからITの分野の仕事はどのように成立しているのかといった質問を頻繁にしていました。

『受託制作がメインなので基本的にはこれを作ったらいくらという仕事をこなしている』という話をされていたので、なんとかしてそれを自分でもできる方法はないかと探っていました。
そこで、HPなどなら作れる知り合いがいる、IT企業でインターンしている知り合いもいるのでそれを集めれば仕事をこなせるかもしれないという話をすると、『じゃあそれらの人材に仕事を発注するので、それが納品されたら君に紹介料を払おう』という提案がありました。
そう、最初のIT企業としての仕事は”webを作れる人間を紹介する”というなんとも単純なものだったのです。そのとき、作れる人材さえ揃えれば利益になると確信しました。今までの人脈をフル活用して、『web作れる人間いたら紹介して』という風にひたすらに知り合いに当たりました。エンジニアと会っては『こんな仕事があるんだ。きっと面白いビジネスになる』と口説き落とす日々が始まりました。
セールスをやっていただけあってか喋るのはうまかったため、人を集めるのはそこまで苦労を要さなかった気がします。それがこの六本木ヒルズに入る物語の実は始まりなのです。

19歳の若僧が起業して六本木ヒルズに入れたわけ①

HP制作のビジネスで駆け回った

このwebの制作のビジネスは、自分自身にとっては実は非常に簡単でした。
作れる人間とお客さんを用意すればそこで利益が生まれるというものでしたから、特に自分が作ることが全くできないこともあってそれだけを徹底的にこなしていました。

仕事をくれる先を探すのと同時に、webを作れる人間をひたすら探すという日々が続いていました。しかし、幸運だったのはセールスをしていたときの人脈がありましたから、様々な人にクライアントとエンジニアを紹介してもらったということ。それもあって右肩上がりで事業は伸びていきました。

ついにセールスの枠を越えて個人事業主としてですが、仕事をすることができました。
そこで選んだのはITというビジネスでした。理由がとくにあったわけではなく、若くてもそれを強みにできるものをということでITという新しい産業を選んだわけです。