起業家たちがテクノロジーを大したことないと語る理由


起業家がテクノロジーを大したことないと語る。
はたしてその理由は何なのだろうか。

偉大な4人のディスラプター

2015年11月23日、次世代のリーダーを担う大学生・大学院生を対象とした『G1カレッジ2015』が開催された。その中の『テクノロジーが変えるビジネスの未来』に登壇したヤフー小澤隆生氏、メタップスCEO佐藤航陽氏、フォトクリエイト・大澤朋陸氏の3名がライフネット生命CEO岩瀬大輔氏の投げかけたテクノロジーの限界に関する問題提起に対してのそれぞれの見解を語った。

その内容が非常に興味深い。なんと『テクノロジーは大したことない』と言うのである。近年あらゆるテクノロジーが生まれている中で起業家は大きな注目を常に集めている。そして、今後もテクノロジーによる進化が予想される中で、テクノロジーは大したことないというのはどういう理由なのだろうか。

金融のイノベーションはたった1つ

ライフネット生命岩瀬氏がそう投げかけた理由は、世界的投資家ウォーレン・バフェットの一言にあるという。
金融業界では、様々なテクノロジーおよび金融技術が発達して(1例としてはデリバティブ取引だ。)、お金の取引高が天文学的に増えて、様々な変化が起こっているとされている。しかし、ウォーレン・バフェットは『この100年で禁輸業界であった本当に意味のあるイノベーションは1つだけだ。銀行のATMだけだ。』語ったというのだ。

これはつまり、ATM以外の技術については金融業界におけるテクノロジーではないということを示唆している。たしかにデリバティブ取引は、通常の金や通貨などから派生した金融商品の取引を指し、代表的なものでは差金決済取引などが挙げられる。これは、たしかにテクノロジーというよりは金などの価格がこう推移したらいくら利益が出るとかマイナスが出るとかの数学的な取り決めでしかない。
インターネット上であらゆる取引ができるようになったのもコンピューターテクノロジーが基幹にあり、金融業界のテクノロジーかというと複雑な部分がある。そういう意味で金融業界というのはたしかにテクノロジーというものがどれだけあるかというとそれに懐疑的になるのは自然なことだろう。

フォトクリエイト大澤朋陸の見解

フォトクリエイト大澤氏は、自身の写真業界がそう簡単にテクノロジーが起きないことを述べて岩瀬氏の提言に賛成を示した。
2002年には、カメラがフィルムからデジタルになり大きな期待を抱かれていたという。しかし、その期待とは裏腹にフィルムでないと出ない色なども存在し、本当の意味で変わるまでには10年ほどの歳月を費やしたのだという。

しかし、その中で実に面白い期待が写真業界にも寄せられているのだという。今では、動画から切り取った画像が写真として通用するほどに画質が上がっており、そうなると動画を固定カメラで撮っておいた後に写真をそこから抽出すれば良くなり、カメラマンがいらなくなる可能性もあるのだという。事実、動画から写真を取り出すフォトサービスも存在する。とはいえ、どこを切り取るかはその感性によるところであり、そういった世界になるまでは時間がかかりそうだとしている。

利益はテクノロジー以外から生まれる

メタップス佐藤氏は、自身がテクノロジーを中心にビジネスを行った中で様々な企業の分析から出た持論を展開した。『経済的な利益はテクノロジー以外の部分に発生する』という。
テクノロジーは既存のサービスをコモディティ化し陳腐化させるためのツールであってそのものでは利益になり得ない、つまり今まで職人でなければできなかったことを機械が代わりにやってくれるとかむしろ特殊なものを誰でも触れられる形にすることになるのだという。彼の言葉を借りればテクノロジーはコピーできるのである。

Googleを例に挙げ、まず安価に大量のサーバーを設置し検索エンジンにワードを打ち込んだら一瞬で結果を返す仕組みができるようにしたこのハードの部分がGoogleの強みだということ、そしてGoogle Adsenseなどは意外にも大企業に対する営業を行っており、テクノロジーではない部分が大いに存在するのだという。
これによって、テクノロジーで差異をつけることは難しく収益につながるような競争優位性は他で作る必要性を語っている。

人間の根本的な欲求は変わらない

ヤフー小澤氏は、基本的な人間の営みというのは変わらず、『飯食って、恋に落ちて、寝る』しかないと述べている。そしてテクノロジーはそのマイナスをできる限りゼロに近づけ、いい部分を伸ばすことでしかないのだという。
飢えている人がいるのなら、そのマイナスの問題を農業の技術、テクノロジーを使って大量生産によって飢えの可能性を減らしマイナスをゼロに近づけること、おいしいものを食べたいというプラスに対しては高品質の食材が出来あがり調理器具などの技術の向上で料理の質も上がる。さらには、美味しいお店をインターネットで探せるようになるという。この工程の中で、人が食べ物を食べるという部分は不変である。

あくまで本質はテクノロジーと関係ない部分にあり、それを補強するためにテクノロジーがあるのだという話である。聞いてみれば当たり前の話だが、テクノロジーを崇高なものとしすぎていてそれが第一になってしまい本質が見失われているようなケースも少なくないそうだ。

テクノロジーはあくまでツールでしかない

ここまで聞く限り頷ける部分ではあるが、テクノロジーが我々の生活を豊かにしていることは間違いないだろう。そういう意味でテクノロジーは大したことないというのは間違いであるようにも思える。テクノロジーがなくなった世の中など考えられない。
それでも、メタップス佐藤氏の語った『経済的利益はテクノロジーではない部分にある』というのは非常に興味深い。テクノロジーはコピー可能であり、それをどう使うかで儲かるか儲からないかが分かれるのだろう。

テクノロジーはあくまでツールでしかない。そう思い返させる内容であった。