スーパーマリオランの1200円の価格は”高い”のか?


2016年12月16日、任天堂からスーパーマリオランがリリースされ話題となった。
しかし当初の期待を裏切る声が続々と出ている。どうしてそうなったかを分析してみよう。

1200円という価格設定

他のソーシャルゲームと異なるのはワールド1の1-3ステージまでが体験版仕様となり、その先は1200円を払わないと遊べない、というシステムである。(全6ワールド・24ステージ)

1200円という数値はこれまでのゲームソフト、そしてマリオブランドから見ると破格の価格と言える。しかしアプリ価格として見るなら四ケタは少々お高い。しかしソーシャルゲームと比べたら相対的に安く済むことが大きいだろう。
1200円を払えば追加課金無しで遊べるという点は優れている。
しかし1200円は高いとの声も有る。それはなぜか。

顧客の満足度による違い

こうした声が上がるということはこの1200円という価格に払う価値をあまり感じない人が少なからずいるということだ。プレイ評価を調べてみるとつまらない、飽きたといった批判が次々と出てくる。ポケモンGOのようにブームが起きるかとの期待も込められていたが、期待に反して肩すかしを食らった人は多いだろう。

ソーシャルゲームと比較してみよう。あちらはゲームが進むにつれて障害が大きくなり、それを解決する為に課金という手段を用意している。
ゲームが進むと顧客の満足度は高まるが、同時に不満感も積もるという方式だ。これを解決するには課金に頼る、あるいは良心的なゲームであれば時間をかけることである程度は解消することができる。それに対してマリオランはどうか。
ゲーム性は単純であり、ソーシャルゲームと比較しても大して変わらないだろう。

しかし3ステージ分の体験を終えただけでは1200円に対し価値を見出す人は少ない。
これは障害があまり設定されていないということと、充足感と不満が溜まる前に終わってしまうから顧客の価値判断があまり働かないためだろう。
しかし本当の問題はソーシャルゲームにハマり正常な価値判断を失ってしまった人々にあると言える。

購入型ゲームアプリとの比較

スマートフォンがまだ全体に普及する前、2009年以前は有料ゲームアプリと体験版アプリと明確に別れていた。しかし時代の流れにより基本無料のゲームが流行るようになり、購入型は次第に廃れていくことになる。
購入型の有名なソフトとしてはファイナルファンタジーの旧作や、マインクラフト等が有る。ファイナルファンタジーはおよそ800~2000円前後で、マインクラフトは現在700円だ。競合相手とするとこれらの質を上回る必要が有る。

短時間でスーパーマリオランをクリアできたとの声も有り、やり込み度で言えば前者二つを下回るだろう。ゲームモードは三種類あるが、ゲーム性そのものは無料ゲームにも有る自動式横スクロールアクションが中心であり新しさは少ない。1200円という付加価値はマリオブランドと、それに付随するゲームの面白さの安定感、操作性を含めた全体的な完成度の高さによるものだ。

“基本無料”のゲームへの消費者意識の移り変わり

スマートフォンが大衆全体に普及したタイミングで、購入型はドラクエ、FFといった一部の超ブランドタイトルを残してだんだん廃れ、基本無料のゲームがアプリ市場を支配するようになった。これはゲーム市場がライトユーザーとヘビーユーザーそれぞれに対応した結果だと言える。

これまではちょっとやってみたいなという人もがっつりやりたいなという人も、プレイするには同一の対価を支払うことでプレイしなければならなかった。今まで分散されていた対価を1割のヘビーユーザーに集約し、残り9割のライトユーザーに無料でプレイさせるといった構造がソーシャルゲームとなっている。
この9割がゲームアプリ市場への意識を変え、基本プレイ無料が当たり前となった。
しかしソーシャルゲームの構造上、この基本プレイ無料は実質的に無料とは言えない。それは依存性から課金してしまう可能性があるという話でもなく、完全に無課金者の人についても同様に言える。
それについては次の項目で解説する。

無課金者は本質的には無料でゲームをプレイしてはいない

ソーシャルゲームがなぜソーシャルかの部分を考えてみよう。ゲーム内で社会を構築している、そこまでは想像ついたとして、この社会とはどういったものか。
ソーシャルゲームの構造上、無課金、微課金、重課金者といったくくりがある。無課金者はソーシャルゲーム登場初期では課金者に決して追いつけない、絶対的なカースト制度として成り立っており、課金者相手には奴隷以下の虐げられて当然な状態だった。それが近年、無課金者層でも時間をかければ課金者に迫れるようなシステムへと変わっていった。

社会構造上、これらの無課金者は労働者層にあたる。集客する構造上で無課金者層に配慮するようになり、一定の地位を得た状況と言える。だが強くなるにはそれ相応の長い年月を費やさなければならないため、時間を搾取されている状態となる。

ゲーム会社側の戦略としては、圧倒的なプレイ人数と流行を作り、新規顧客と課金ユーザーを生み出したいため、ゲーム内に一定数確保し24時間滞在させたい。そうなるとこれまでのスタミナ式、数値で決まるソーシャルゲームだと回復までに時間がかかってしまうので24時間滞在させたい思惑と反する。

このようなスタミナ性を廃止しいつでもゲームをプレイできるように、そして無課金者の溝を減らし中課金者層を増やすことで近年売上を伸ばしてきたのがクラッシュ・ロワイヤルの戦略シミュレーションゲームや、ハースストーン、シャドウバース等のカードゲームである。

基本無料でいつでも好きなだけプレイでき、更には課金者との待遇差が改善された結果、プレイ者はゲーム会社に時間という対価を支払い、企業が流行を起こし顧客を獲得するための利益に繋がっている。これは時間と労働力を提供する労働者と似た仕組みと言えよう。
筆者はソーシャルゲームを批判したいわけでもなく、むしろまだ発展途上の素晴らしい仕組みと考える。しかし今後、無課金層が増え過ぎることで空き時間の活用枠が市場全体で埋まり、他のゲーム市場全体が伸び悩む懸念は有る。

任天堂はなぜ体験版システムを採用したか

話を戻そう。このような無料プレイ前提の風潮の中でなぜ任天堂は体験・購入型を導入することにしたのか。
任天堂がソーシャルゲームと同様の方式を採用しない理由の一つとして、他社の真似事をしても利益へと繋がりにくいからと言える。短期的には得られるだろうが、長期的視野を持つとマイナスへと繋がりかねない。

その理由として考えられるのは任天堂のマリオというブランドを傷つけない為の施策である。一時期はニュースに取り上げられたソーシャルゲームの課金制問題だが、議論され様々な規制案が生まれ、注意喚起を促した上でTV局の優良スポンサーとなることでニュースとして取り上げられることは圧倒的に少なくなった。しかし近年でもPokemon Goが事故に繋がると批判を食らった事例が有る。

マリオのターゲット層は主に子供や家族向けであり、ソーシャル要素を投入することでこうした層から批判を食らうのはなるべく避けたいところだ。ポケモンGOは歩き回ればアイテムが手に入るシステムで子供の課金欲を上手く逸らしているが、マリオはそういうわけにはいかない。ゲームシステム上の課金導入が難しく、課金制にするとゲーム性が損なわれる懸念だってある。

それに加えソーシャル要素を含めると他社のソーシャルゲームとの競合化は免れない。そのためあえてシェア争いに参加せず、購入型にすることで他社と差別化することにした。これは圧倒的なブランド力があるからこそ取れる手法だ。
スーパーマリオランのターゲット層はソーシャルゲームやゲーマーの層ではなく、これまで高かった難易度を限界まで操作性を引き下げることによる新規顧客の開拓である。

ゲームをプレイするには3DSやwiiUが必要であり、ゲーム機を買うほどではないが手軽にやりたいという層を獲得することが狙いである。その場合、1200円という価格は適正となるだろう。
Pokemon Goの事例にしても、遊び慣れている人にとってはARという革新的システムが導入されても元のゲーム性が低ければ別の面白い方に飛び移ってしまう。スーパーマリオランについても同様で、遊び慣れている層にとってはつまらない、飽きやすいという感想を抱きやすいだろう。

任天堂は体験版と1200円という壁を設けることでゲームプレイ層を選別し、優良な顧客のみに狙いを絞っている。1200円の価値を払ってくれる人はリピーターとして定着すれば他のゲームにも価値を感じてもらい易くなる。
ソーシャルゲームはあくまでコンテンツを消耗するものであり、随時更新していかないと飽きられ課金欲を失ってしまう。この更新による維持費用は馬鹿にはできない。

スーパーマリオでこれをしてしまうと、更新し過ぎることで家庭用ゲーム機でのスーパーマリオ新作が出しにくくなる懸念が発生する。そうなるとスーパーマリオというコンテンツは消費され尽くしてしまう。そうした長期的視野から見ると、追加課金無しの1200円は相互に良心的な価格設定である。

Pokemon Goの事例を踏まえて

2016年はVR元年と呼ばれ、Pokemon Goでは時流に乗っかりAR技術を使用することで若者を中心に爆発的に広がったが、継続層は30~50代のゲームに複雑さを求めない層が中心となっている。
スーパーマリオランも同様に、30、40代のわざわざ3DSやWiiUを買ってプレイする気にはなれないけど、スマートフォンで気軽にならプレイする人向けであると考える。

また海外同時展開することで、これまで家庭用ゲーム機を持ったことのない人向けにマリオへの認知度を高めるという思惑もあるだろう。
ゲームに慣れ過ぎた世代では物足りなさを感じるのは当然のことだ。

そして2016年にPokemon Goがリリースされたのと同様に、スーパーマリオランがこの年にリリースされたのにも理由が有る。スーパーマリオはその独特な操作性とマリオを操ることの楽しさをウリにしてきた。スマートフォン黎明期ではまだ操作性に難有りのため見送ることにしたが、端末の性能が上がり海外どこでも広く普及され、スーパーマリオの操作性をスマートフォンでも再現できると任天堂が判断したのが2016年という年だ。

リリース初動では批判の声も有り、将来性が見込まれず任天堂の株価も下がった。ポケモンGOのような革新性と爆発的ブームは起こりにくいが、ターゲット層を考え世界的に見るとじわじわ継続的に売れていくと推測する。

価値判断の大切さ

ゲーム一本辺りの単価は過去と比べて大幅に値下げしたし、ゲームの市場規模は年々拡大している。ゲーム自体が批判されることは過去と比べて少なくなったし、スマートフォンが出てきてからはゲームがより人々に身近なものとなった。
市場規模が拡大すると当然ターゲット層も細分化され、大衆もマスとニッチの中で様々に別れる。それぞれの価値基準が有り、その需要に合わせた設定、展開が必要となる。

それこそがマーケティングであり、価格設定一つでもそこから様々な推察ができる。
今回はスーパーマリオランの価値の正当性を説いたが、矛盾や不満を感じた者はそこから分析し、自分なりの見解と売れるモノへの予測を立てビジネスへ繋げていける素質が有る。また正当性に気付いた者は、それが本当に正しいか今後の売れ行きから判断していける。
大事なのは普段与えられているモノの価値がどれくらいかを常に判断していくことである。