未だ物議をかもす東京オリンピックのエンブレム問題。
はたして何をもってパクりなのだろうか。デザイン的観点からそれを考察する。
佐野氏の五輪ロゴは何を持ってしてパクりなのか
東京オリンピックのエンブレムに選ばれた下記のロゴ。佐野氏が過去にパクりを働いたこと、そしてそうした事実から今回のエンブレムについてもパクりである可能性が非常に高いこと。そして、彼がデザイナーの界隈で高く評価されていたことからいかにデザイナーの業界が悪しき習慣によって成り立っていること。デザイナーの業界はある程度コネによって支配されていること。それらについては今回一切論じない。
純粋になぜロゴはパクりとみなされるのか。そもそもあれはパクりだったのかということを作品のみを見ることによって考えたい。作品だけを見た時にあれでパクりとみなされるのであれば今後新たなデザインなど生まれる余地はないのではないかということを思う。いかにしてデザインはパクりとなるのか。
デザインには意味がある
上記記事ではデザインに関する盗作、パクりの定義、観点について非常に分かりすく説明している。この記事を参考に説明をしていきたい。
「井」は「#」のパクりであるのか。
古くから使われる漢字。この「井」は「#」と非常に似ていることが分かる。でははたしてパクりなのか。これは盗作によって生まれたのか。そう考える人間は少ないはずだ。
あるものを別のものと同じと認識するかどうかはそれが生まれる経緯であったりそれが使われる文化に関係している。「井」が生まれるのには独自の文化があるから「#」のパクりと呼ぶことはできない。このようにその作品にはその成り立ちがある。
デザインとはなにか
デザインの日本語訳は、装飾ではなく設計です。そしてデザインの本質は「課題を解決すること」と「新しい価値を提案すること」です。美しくすることも、使いやすくすることも、課題を解決するための手段(差別化、ミスを無くす、欲望の喚起等)にすぎません。
出典 http://bylines.news.yahoo.co.jp/
デザインというのはその複雑さや良し悪しは別として誰にでも考えることができる。しかも商標登録だけにそのデザインの権利は帰属しないのだから世の中で誰もが考えたことのない、全く何にも似ていないデザインというのはもうなくなっていると考えるのが妥当であろう。何にも似ていないあまりに斬新なデザインなど不可能になりつつある。
「アウトプットの形状が似通っても、そこに至るまでのコンセプトや道筋に独自性があれば違うものとして評価する」という暗黙の了解が生まれています。
出典 http://bylines.news.yahoo.co.jp/
だから、著作権においては同じものが生まれたとしてもその創作の過程が独自であるのならば権利を侵害していない(パクって生まれたのでなければ創作物として認められる)ということが決まっている。
類似性については、商標権や意匠権によってその権利が保護されており、これを申請した場合については類似したものも認められない。ちなみにパクられたと騒いでいるリエージュ劇場はロゴについて商標登録を行っていない。
ステンシル書体における著作権
アルファベットは26文字しかないため、文字を使ったデザインの類似性は非常にデリケートです。文字デザインでは歴史的経緯で様々な作法があり、オリジナリティと慣習の区別が難しいこと。そもそも26文字しかないため、バリエーションに限界があり類似しやすいことなどが原因です。
出典 http://bylines.news.yahoo.co.jp/
文字をベースにしたデザインについては当然その文字を26種類から選ぶのだから類似性が生まれるのは至極当たり前の話である。そしてその書体についても分類が可能になる。文字自体の書体も当然ながら考えつくされている。書体について単独でなく、デザインの中で『同じ書体を使っているのだからパクりだ!』と述べることは不可能である。
佐野氏のロゴもリエージュ劇場のロゴも「ステンシル書体(上記)」の「T」を使っている。だからそれによる類似部分を鬼の首を獲ったかのようにだからパクりだと言うことがあまりに滑稽だということが分かるだろう。
デザイン作成のプロセス
こんな具合に、それぞれのロゴは似通っているわけであるが、似通っている部分は、『ステンシル体のTの右側をひっくり返した』部分にある。
ただ、それだけでは盗作でもなんでもないしそれぞれのプロセスがあるのだからその点について説明すれば問題なかったはずだ。リエージュ劇場のロゴは商標登録をしていないのだから、先に五輪のエンブレムとして商標登録(今回の件がなくとも当然行う)をしてしまえばむしろリエージュ劇場のロゴに対して取り消すことを求めることだってできた。
出典 http://bylines.news.yahoo.co.jp/
出典 http://bylines.news.yahoo.co.jp/
そのプロセスについての説明ができなかった佐野氏、およびオリンピック委員会の対応はあまりに稚拙であり、デザイナーの業界自体があまりに『分かる人間に分かればいい、分からない奴は無視』という体制に蝕まれているかを示している。
佐野氏の行動の是非についてはもちろん疑問が残る。ただし、このロゴは守れるものであったはずだ。