ゲーム業界はどうやって大衆に広まったか


ゲームが現在ここまで普及するに至ったのはゲーム業界の長い苦労があります。
その流れを追っていきましょう。

ゲームが普及したのは1970年代から

この頃はデパートの屋上にある遊戯場の一つとして業務用ゲーム機が取り入られていました。メダルゲームなどが流行り始め、70年代後半にはゲームセンターとして本格化していきます。また同時期に喫茶店などでスペースインベーダーが導入され始めました。

ゲームをする文化自体は70年頃に勃興し始めました。

1980年代に入り家庭用ゲーム機の普及が進む

当時のゲームセンターはあまり治安が良くなかったため、大衆には忌避されがちな面もありました。そのため風営法によって大きく規制が設けられました。
その代わりに家庭用ゲーム機が普及します。任天堂のファミコンは子供層に大きく受け入れられました。またスーパーマリオやドラゴンクエストなど、現在も根強く残る人気タイトルが生まれたのもこの時です。

1990年代はゲーム業界の変革期

80年代にビッグタイトルを生み出したことから90年代になると新規参入企業が増え始めます。

また80年代に没落したゲームセンターはその後「音楽ゲーム」「格闘ゲーム」の二大ジャンルによって大きな顧客を確保した他、「プリクラ」など新しいアミューズメント施設へと転換し家庭用ゲーム機に奪われたシェアを大きく巻き返しました。

3DCG描画技術が大きく伸び始めたのもこの頃です。任天堂から「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」などの大作が生まれたことからゲーム業界に3D時代の変革がきました。

またポケモンがゲームのメディアミックスとして成功したことから、ゲーマー層以外にも広く認知され始めました。
またプレイステーションが台頭したのもこの頃です。

2000年代からゲーム技術の向上と製作費の高騰に

オンラインゲームの普及・携帯電話用のアプリゲームなどによりゲームの種類は様々に増えました。
しかしハード性能の向上と新規参入ソフト会社の競争激化により統廃合が進められてきます。3DCG技術が大幅に上がり、その分製作費が高騰したため超大作を作れる大手企業が有利な業界構造となりました。

ゲームが複雑化する中で、任天堂はこのままではゲーマー層のみしか残らないのではと危惧し始め、GCでの失敗を踏まえてWii,DSからゲーマー以外のライト層(ファミリー層)を確保し始めました。

「脳を鍛える大人のDSトレーニング」「ニンテンドックス」「おいでよ! どうぶつの森」等。
今までゲームは悪いと批判されてきましたが、この2000年後半から徐々に生活の一部として大衆に浸透するようになりました。

2010年はソーシャルゲームとVRの時代

2010年頃からスマホ端末が普及し始め、それと共にソーシャルゲームが台頭し始めました。
ゲーム業界が今まで顧客ゲーマー層の需要に答え続けた結果、ゲームに疲弊してやらなくなったライト層をごっそり取り込むことで成功したのがソーシャルゲームです。

初期は開発費用も低くDeNA、モバゲーを筆頭に様々な新規参入企業も増えましたが、「パズドラ」「モンスト」「グラブル」「Fate/Grand Order」など製作費と広告費をふんだんにかけたゲームアプリが席巻し始め、新規参入が難しくなりました。

また既存のゲーム業界はソーシャルゲームにシェアを奪われる他にも海外のゲーム会社によるグローバル化の煽りを受けたことにより方針転換を迫られています。
また世界中でゲーマー層が増え、ネット対戦が普及したことにより熟練度の幅も大きく広がり、eスポーツ・プロゲーマーという新たな形が生まれ始めました。
これまでのゲームの概念は大きく変わり、ゲームとは社会性の一部となり始めたと言えるでしょう。これはAR技術を活用したポケモンGOが2016年に大きく流行ったことからも言えます。

2020年への展望に向けて

2010年代にゲームは楽しむものからより生活の一部へ密着したものへと変わりました。ゲームはこれから更に生活の中に取り入れられることでしょう。

3DCG技術は映画やエンタメに広く使われるようになりましたし、VRもゲームから技術が成熟していくことで使用用途も多岐に渡ることになるでしょう。
今は黎明期でありVRは技術者以外の応用が難しいですが、普及してくるにつれ敷居が下がるのでそこに新たなビジネスチャンスは生まれます。