755が失敗した理由を徹底考察する


残念ながら失敗と言わざるを得ない755。
業績は明らかにそうとしか言えない。その理由ははたしてどこにあるのか。徹底的に考察する。

755の業績

ホリエモン×CAの次世代アプリ755は失敗なのか?

以前、本誌で755は失敗したのかという記事を公開したが、事実上現時点では755は失敗したと言っていいだろう。(2017年3月現在、755はもはやすっかり忘れ去られている)
755、アクティブユーザーが少なすぎると指摘を受ける』の記事でも考察したように、755のアクティブユーザーは多く見積もっても50万人はいない。その数字自体はそこまで悪いものではないように思えるが、問題はユーザーの伸びがほぼない状況であるということだ。
サイバーエージェント藤田氏が『芸能人を起用したCMで集めたユーザーが離れていった』と語るようにおそらくアクティブユーザー自体は減り続けていることが予測される。ユーザーがゆっくり伸びるのならまだいい。急速に減っていく状態を食い止めるのは非常に難しい。

さらには755の売り上げはほぼゼロである。webサービスにおいてユーザー数を増やす段階であるから当たり前のことではあるが、マネタイズはなく、現状では赤字を垂れ流し続けている状況である。20億円を投資したという報道はあったがはたして今までにいくらを費やしたのだろうか。そう考えるとかなり厳しい状況であることは間違いない。

755はサービスとしての中身

755とは、”トークアプリ”と自らを称し、SNSとしての機能、そしてLINEのトーク画面のような形で芸能人含め、トークルームを作った人間と会話ができることが特徴である。いわゆるメッセンジャーとしての地位、ないしはTwitterのようなライトなSNSを狙ったのだろうか。

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出典 http://girlschannel.net/

上のような画面で、1対多で会話ができるのが他のサービスと違った点であろうか。サービスのリリース当初は一般人もトークルームを開き、特に女子高生などの若年層の女性のトークルームに男性が殺到して出会い系と揶揄されていた時期もあった。現在はほとんどが芸能人のトークルームしか栄えていないようだ。ある意味では出会い系として機能することはサービスとしてそこそこうまくいっている証左でもある。

この755は芸能人と会話する目的で作られたのだろうか?『ホリエモン×CAの次世代アプリ755は失敗なのか?』の記事にある藤田社長の『芸能人を広告塔にユーザー数を集めたが定着しなかった。他の形を探る必要がある』という発言からそうではなかったことがうかがい知れる。芸能人との1対多のコミュニケーションを想定していたのならばそれでもいいはずだ、芸能人を広告塔にし続けることがむしろ必要不可欠になる。
芸能人はあくまで”ただの広告塔“でありそれ自体がサービスの目的として意図したものではなかったということであろう。

755が目指したものは何なのか

では755が目指したものは何だったのだろうか。
芸能人との会話を楽しむアプリでないのならば一般人同士の会話を楽しむということがその目的であると考えるだろう。要は、ツイキャスやニコ生がテキストになったものだと考えると納得がいく。(ツイキャスやニコ生は一般人や半芸能人が放送を立ち上げて、好きなことを喋ったり、そのファンや友達からの質問に答えるなどしている。)

ちなみにではあるが、堀江貴文氏が考えている内容はやや違うようにも思える。

755について、有名芸能人が関わることに対してむしろ積極的に見えたり、自身のYouTube番組『ホリエモンチャンネル』では常々アーティストやクリエイターが事務所やレーベルに頼る必要やその存在意義は否定的であり、彼らがメディアを生かして売り込みをする形に変化していくべきだとしている。
そのような”個人”の活躍についてはこの755というサービスは非常にマッチしているのではないだろうか。
むしろ地下アイドルだったり駆け出しのアーティストがファンとの交流を図るのには755はツイッター以上に合うわけである。

結論として恥ずかしながら堀江氏とサイバーエージェントのそれぞれの発言から想定される意図が違っており、755が目指したものはあまり明確にこれと断言できないが、ツイキャスやニコ生に似たバリューを出したかったのではないかと想定される。

755はなぜ失敗したのか

755はなぜ失敗したのか。
それは上記にもある通り、どのようなサービスにするか(ユーザーは何を目的として使うのか)が明確ではない、明確に決まったとしてもそれがユーザーに伝わるような作りになっていない点である。要するに”別に使う理由がない“のである。

Facebookは名刺代わり的な意味合いもあるし、連絡先交換感覚で使えるし、ブログみたいに自分の活動を報告できる。ツイッターは好きなことをつぶやけるし、それが見れる。Instagramは写真をアップすることができ、ファッションの写真などを見たり見せたりできる。
755は芸能人と会話できる。しかし、それが755の目的ではなかったのだ。それに芸能人と会話したかったらツイッターでもできる。Twitterの引用リツイートは同じ機能を持っているだろう。

SNSにおいて全く同じスタンスで立ち向かって先行者に勝ったケースはない。mixiがありながらFacebookが出てきたときもFacebookは実名を義務化し、mixiのようなコミュニティ機能を取り除いて友達申請をしやすくした(mixiは逆にこのコミュニティは今もバリューを保っている)。Instagramは写真を共有するアプリとして生まれたことで全く違う文化としてのファッション性でユーザーを増やした。
それぞれ違った良さを出したことで後発でありながらユーザー増やした。755は芸能人の返信率をウリにはしているが、サービスの内容としてはTwitterでできる内容でしかない。芸能人と交流しやすいアプリなのだろうか。そうではなかったのものの、そう認識されるというミスマッチが生まれている。

ある意味では目に見えるほどの失敗ではないのだろうか。755にある価値ははたして何なのだろうか?
残念ながら見つけることはできない。

ホリエモンは失敗ではないと主張

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出典 http://horiemon.com/

そうした世の中の風潮に対して、NewsPicks内で堀江貴文氏はこう主張した。『サービスは2年足らずで判断することはできない』と。
本誌はそうした意見には賛成である。1年ちょっとで全てが分かるサービスは極めて少ない。ただし、この755の属するコミュニケーションサービスで、2年間の中で全く振るわず、その後持ち直して成功したサービスはどれだけあるのだろうか?

堀江氏が例に挙げているクックパッドと755を一緒くたにするのは明らかに間違っている。クックパッドはそもそも論として料理のレシピを投稿するという文化を根付かせるまでに時間がかかった。失敗したというよりも、じわじわと文化が形成されるまでに時間がかかったのである。

クックパッドはレシピサイトであるが、755はいわゆるSNSだ。Instagramはリリース直後から大きなヒットを飛ばして右肩上がりにユーザーを伸ばしたし、mixiも同様だ。同じジャンルと思われるツイキャスについては、これも時間がかかっているが、それでも2年間は順調に伸ばしている。
SNSというジャンルでユーザーが減りながらV字回復した例というのはおおよそ思い浮かばない。

755はSNSと比較するべき

これが、例えばカーシェアリングなどのC2Cだったとしよう。そもそも、安全に取引が行えるかとか、サービスの使い勝手が悪いとか、そういった改善をしていく可能性が十分にある。それによって急激に改善される可能性は十分にある。要するに、サービスとして改良できる領域がどれだけあるかという話になってくるわけである。

では、話を755に戻そう。755が失敗でないとするならば、ここから何かしら改善することでユーザーが戻ってこなくてはならない。はたしてどこを改善するのだろうか?
機能の部分で新規で追加したり、ユーザビリティを向上したりといったことはできるだろう。755がユーザーにウケない原因はそこではない。純粋にサービスの中で行われえるコミュニケーションがユーザーに対してハマっていないのだ。

755が成功しようと思ったら、もっと本質的な部分を変えなくてはいけない。SHOWROOMのように、ライブ配信を行ってユーザーとのインタラクティブ(相互的)なツールとして芸能人向けのサービスに舵を取るか、素人同士がコミュニケーションをとるのならば、それを盛り上げるような質問の仕組みやアンケート機能を導入するか。ツイキャスでおおよそのことはできている。その牙城を崩すためにはよりコミュニケーションが盛り上がる仕組みを徹底しなくてはいけない。

755の運営がそうした部分に気付くのだろうか。本質的な部分を理解しているとはとうてい思えない。失敗でないことを強調したって、コンセプトや芯の通ったビジョンは見えてこない。結局のところ、755は失敗に終わったのだ。