Facebookはたった7枚の資料で売り上げを立てた


今や知らないものはいないFacebook。
そんな会社の創業時はいたって普通の学生ベンチャーであった。そんなFacebookはたった7枚の資料で契約をもぎとり、売り上げを立てていた。

Facebookとはもともと大学のアルバムだった

Facebookとはもともとハーバード大学で配られていた学生の顔と名前、学部が明示されたアルバムのことを指す。学生はこのFacebookを見て、パーティーや授業で会った人間の顔と名前を一致させる。『俺はこんな美人と仲良くなったんだぜ』とFacebook上の写真を指しながらルームメイトに自慢することも頻繁にあったようだ。

そんなFacebookをハーバードは生徒の声に基づきオンライン化させようとしていたのだが、それはいつまで経っても進まなかった。そんなことに業を煮やした19歳のマーク・ザッカーバーグがオンライン版Facebookを自分で作ってしまったことから今のFacebookは始まっている。

当時は今のような門戸を広くしたSNSではなく、最初はハーバードの学生が持つ『harvard.edu』のメールアドレスがなければ登録はできなかった。その後どんどんと様々な大学に広げていくのであるがその中でも大学のメールアドレスが必須であった。大学生が大学内および他大学の生徒と交流を持つために存在したサービスであった。
まさしく大学生の考える学生ベンチャーといった形であり、ショーン・パーカーという『ナップスター』(音楽共有サービス)の元創業者が加わった以外はほとんどビジネス経験もないザッカーバーグの友人たちで創業されたのが発端である。

Facebookの躍進はたった7枚の資料から始まった

そんなFacebookではあるが、サービスの開始から1年以上経った2005年にはじめて資金調達を行った以外は、広告収益とザッカーバーグとその両親の貯金から、そして共同創業者のエドゥアルド・サベリンからの出資で運営を行っている。その際に大きな柱となったのが広告収入である。

そんなFacebookが広告収入を得るために創業わずか2ヶ月で営業をかけた際の資料が上記記事に記されている。たった7枚の簡素な資料から構成されたプレゼンはベンチャー企業に必要な本質を表している。もちろん、Facebookは広告契約を獲得することに成功しており、そのクライアントの中には今や世界一大きい企業であるAppleも含まれている。当時、AppleはFacebook内にファンページを持つためにFacebookに対して何百万という金額を投じた。

facebook-2004
利用者のデータを簡素な形で示している。こんな形の資料が7枚続く。(出典 http://digiday.jp/)

形式にとらわれないのがアメリカたるゆえん

実は、Facebookは大学内のソーシャルネットワークサービスにおけるパイオニアではない。そもそもザッカーバーグが参加していたハーバードコネクトはFacebookより早く同様のサービスを行っていた。それでもサービスのリリースから半年以内には圧倒的なシェアを誇ったFacebookはそれだけサービスとして優れていたことは事実ではあるが、それ以上に大学生がこうしたサービスを当たり前のように運営している事実にアメリカという国がいかに優れた若きエンジニアを抱えているかが分かる。
日本でも大学生が大学生に向けてサービスを展開するケースは少なくないが、当時(2004年)のアメリカよりも絶対数では少ないし、その後ビジネスとして定着したものは思い出すのが困難なほどに少ない。もしかしたら皆無なのかもしれない。

そして、そんなことが起こるのはただの19歳の少年の運営するwebサービスに対して営業を受け入れるアメリカという国の寛容性だろう。7枚の資料から分かるように、本質的な『どんな層のユーザーがどのくらいの数どれだけの頻度で利用しているか』を示しているのみである。
仮に日本ならばもしかするとたっぷり作り込んだ格式ばった資料を持っていってもCEOがあまりに若すぎるとか、学生だから信用できないとかいう理由で門前払いを食らうかもしれない。それだけ本質以外のことに囚われないことをアメリカは実証している。

日本のベンチャー企業は形や外見にこだわる傾向があるが、Facebookはまったくもってそうではなかった。ただただユーザーを満足させユーザー数を増やすことにこだわった。その結果として創業からわずか1年ちょっとで時価総額は100億円近くまで跳ね上がっている。いったい何が本当に企業にとって大事なのかこの当時学生ベンチャーは教えてくれるだろう。