ロボットが雇用を担った未来に起こること


誰もが知る通り、ロボットの進歩は目覚ましいものがあるでしょう。
複雑な分野でも人間を上回ることもしばしばです。では、はたして人間の仕事をロボットがまかなうようになった先の未来にはどんな風景があるでしょうか。

ロボットが雇用を奪う!?

今やAIは人間を上回る性能を持つようになりました。チェスでは早々にAIが世界チャンピオンに勝利するようになり、テーブルゲームなどの明確なルールの限定された状況下のシンプルなゲームでは少なくとも人間が機械に勝つことはできなくなったのは見るに明らかです。ロボットの方が人間よりも物理的な力があることは明らかですが、頭脳についてもロボットが人間に勝つ分野というのが広がってきています。

もちろん、電卓よりも計算の速い人間はいないでしょうし、演算という概念において人間はとっくの昔に機械に負けています。とはいえ、ロボットは人間のように話すことはできません。どうやったらこの商品が売れるかなどのような目的に対して最適解を導き出すのもまた難しいことです。
ただし、そうした前提が音を立てて崩れようとしているのがこの2010年代ということになるでしょう。2020年の東京オリンピックの頃にもなればロボットは人類の生活に普及していることでしょう。ソフトバンクのPepperのように人間の見た目をしたロボットも街中に溢れるだろうことは予想できます。その変わり目を私たちは今生きているのです。

ロボットが雇用を奪うだろうということも盛んに叫ばれるようになりました。今ある職業のうちの半分がロボットに置き換えられる可能性があるということが言われている他、そうしたことを発言するのがGoogleなどの世界有数のテック企業であることもそれを信頼付けることになっているように思えます。

はたして本当に雇用は失われるのか

では、本当に雇用は奪われるのでしょうか。雇用が奪われるということが示すことは様々な解釈が存在しますが、今は”ロボットの普及が原因で人が働くことができなくなる”という状態を雇用が奪われると指すこととして話を進めていきます。

最初に私なりの答えから述べさせていただくと、雇用が奪われるということは起こりません。それを示すものとして、『ラッダイト運動』という事例があります。これは、イギリス中・北部で1811年から1817年にかけて起こった機械の導入に対する労働者の反対運動です。ラッダイト運動において織物工業地帯で働く人々が産業革命によって機械の導入に自身の仕事が奪われると考え、機械を破壊するなどしました。
これを受けて一つ気付かないでしょうか。機械の普及は1810年代の当時のイギリスからとんでもないスピードで進んでおり、様々な仕事が機械化されていますが、はたして失業率はどれほど変わったでしょうか。ほとんど変わっていないかむしろIT化によって職を探しやすくなったせいか失業率は下がっているようにすら思えます。

機械の普及によって人が雇用の喪失を危惧するも、失業率は変わらないという構図が時代の中で常にあり続けています。1800年代と比べると現在における肉体労働者の割合は減っていることでしょう。機械の台頭に対して人間は適応し、自分のするべき仕事へと移っているのです。人間のできることの全てを機械ができるようになる限りは人間には仕事が与えられるでしょう。

ロボットが半分の仕事を担う先の未来

では、ロボットが人間の半分の仕事をまかなうようになった先の未来には何が起こるでしょうか。まず起こるのはロボット自体の需要が非常に高まりますから、ロボットを製造する産業の人員が増えます。いかに効率的に仕事をこなすかを考えていた人々がいかに効率的に働くロボットを作るかに仕事が変わることでしょう。またその先の未来には、ロボットがロボットを製造するという未来も見えてきそうです。そうなるとロボットをとにかく多く生産できる体制を持った企業がどんどんと指数関数的に稼ぐようになるかもしれません。

そこまでいけば、今まで人間が30億人ほど働いて成立していた今の世界が20億人によって、その20億人とロボットによって成立するようになるかもしません。では、残りの10億人はどうするようになるのでしょうか。もちろん、欧州などをはじめとして労働時間がどんどんと減る地域もあるでしょう。
はたしてどんな仕事が増えるかというといわゆる娯楽の産業がどんどんと栄えるはずです。よく考えてみてください。今現在の世の中は確実に50年前よりも娯楽の割合が増えています。ソーシャルゲームや雑誌にアミューズメントパークなど。普通の最低限の生きるための生活(十分な栄養をとることや生活のインフラなど)を少ない労働力でできるようになった先に人は娯楽を求めるのです。毎日お腹いっぱいになれるのにひたすら食物を作り続けることはないでしょう。

人を楽しませる娯楽に対してどんどんとお金をかけるようになるでしょう。例えば映画はすでに4Dという次元に入っています。これに対してすごい数の人々が関わっているはずです。バーチャルリアリティによってディズニーランドやUSJはもっと進化するでしょう。カラオケやゲームセンターは今以上にもっと近代的になるはずです。こうした、最悪なくても十分に生活はできるものにお金を割く、労働者が集まることこそが豊かな暮らしの象徴であり、そこに労働力は今後集まるでしょう。

相対的に労働者は貧乏になる

例えば、50年前と比べればすべての人がもっといい生活ができているでしょう。50年前には車を買うのはお金持ちだけでしたしスマホもありませんでした。洗濯や家事にも手間がかかっていました。今のように安い値段でさっとご飯を食べるのもできませんでした。そうした意味で見ればテクノロジーは全ての人を豊かにしています。働く側としてというよりもサービスの値段がどんどんと下がってきて物が進化するからです。昔はビデオ機が50万円もしたこともあったのです。

ただし、労働者がはたして今よりいい待遇でいられるかというとそれはまた難しい質問です。それは相対的に見て豊かであるかという意味です。格差は今まで50年で確実に進んでいます。それはテクノロジーを間接的か直接的かを別として使いこなせるものとそうではない単純労働者に差がどんどんとついていくのは火を見るより明らかでしょう。相対的な意味では今後どんどん労働者は貧乏になってくるでしょう。周りを見たときに貧乏になりたくなければ労働者以外の活路を見いださなければいけません。