教育で生まれるのは何の面白味もないサラリーマンだけだ


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なぜ日本からはGoogleやFacebookのような
世界的な企業が出てこないのでしょうか。なぜ日本からは世界的なリーダーが出てこないのでしょうか。その原因は教育にあります。

教育とは軍隊のために作られた

教育のそもそもの起源は『軍隊』にあります。
戦時中、日本からは多くの兵士を育てる必要がありました。その際に兵士として優秀な人間を育てるために教育が出来たのです。最も古い教育は日本で言うと寺子屋でしょうか。それ以前は、字を書いたり読んだりも全員が出来るわけではありませんでしたから、教育もなかったわけです。
そして、教育が全員に対して行われるようになったのが戦時中です。

戦争ともなると、内紛などが起こっては大変です。外国と戦うのにも中で揉めていてはいけませんから、全員を戦争に協力的に、他国を倒すぞというような方向性に向かわせます。
戦争に対する意識の共有をするために全国民に対して教育を行ったことからきています。

教育という名の洗脳


この記事でも扱ったように、教育とは国民を洗脳するために作られました。

普通に考えてみれば当たり前です。教育する立場とは価値観を自由自在に操ることが出来ます。おかしな考え方を子供に植えつけることが可能なのです。その中で、知識のみを教えるはずがありません。都合よく相手を洗脳しようという考えにいくのもうなづけます。ネットなどない時代では情報を手に入れるのは大変なのです。

軍隊に求められるのは『我慢』と『利他』

その軍隊教育で施したのは、
我慢することが美徳であること、そして人のために尽くすことが最善であるということです。
当然ながら、日本のために戦って死んで欲しいのですからそうした教育が起こります。

そして、人間は流されます。そんな教育こそ正しいのだ。逆らえば怒られるし逆らうのは悪であると。
おかしいことに気付けないメカニズムについては、学習性無気力感について知ると分かります。常にものごとや考え方を強要されストレス化にあるとそれが正しいと思い込み逃げようとしなくなる現象です。

そうして、日本人は『我慢すること』『人のためになること』こそが偉いという価値観を植え付けられました。
戦争という非常に大きなイベントでの人間への洗脳は解けることなどありませんから、それは世代を通して受け継がれています。日本人は自分の欲求を我慢し、利他的に生きるようにできているのです。

そして出てきたのは面白味のないサラリーマン

そうして、無個性な人間が次々と出来上がってきます。出る杭は打たれるの精神で生きてきた人間たちはみな人に批判されることのないよう、嫌われることのないように個性というものを失います。みんな真面目に人と同じように生きる国民性はこうして出来上がりました。

それは決して悪いことばかりではありません。
日本人はみなそれなりに働きますし、犯罪も少なくなっています。海外ではよくある約束を平気で破る、横領する、人を貶めるなどの行為は日本ではほとんど見られません。それこそは1つの日本の教育の成果と言ってもいいでしょう。
日本人は真面目で規律をよく守るが、面白味はない。これが世界での日本に対するイメージです。

イジメは実は教育に原因がある

実は、日本で問題視されているイジメは教育に原因があります。教育の制度とイジメは切っても切り離せない関係にあります。イジメがなくなるとは言いませんが、教育のシステムを変えることによって大きく減ることでしょう。

また、次回そんなイジメと教育の関係についての記事になります。
ぜひ乞うご期待ください。