現在、日本では起業家を輩出するための思考をこらしていることでしょう。
ただしかし、そもそも起業家を育成するという考え方自体に大いに根本的な間違いがあるように考えられます。
三菱UFJの『未来の起業家育成』に疑問の声
本誌でさらっと触れたのですが、三菱UFJフィナンシャルグループが起業家育成にとりかかるみたいです。これを見た第一印象と一致するように、多くの経営者から叩かれていました。『起業家はこんなものに応募しない』という意見と、『銀行にこんなことができるわけがない』という意見と大きく分けて2種類が散見されました。
非常に納得のできる反応です。私の意見もおおよそそのようなものですが、まず銀行は圧倒的に保守的な文化がはびこっています。当然ながらベンチャー企業に多くの銀行は融資をしないですし、そのことがVCを生んでいるわけです。安牌しかとらないような銀行に何ができるんだという話はまさにその通りで銀行からしたらぐうの音も出ない反論でしょう。
そしてもう一点が、未来の起業家(もしくはその資質を持つ者)がいたとしてはたして銀行のこのような制度に応募するのだろうかということです。もし私が研究者で最終的に企業としてそのテクノロジーを世に広めたいと思った時に、そういった固定給をもらって決められたカリキュラムというか仕事に従事することをするのはごめんです。だってそんなことをすればするほど起業からは遠ざかるのだから。
起業家支援という言葉のおかしさ
そもそも、世の中で『起業家育成』と銘打ったものがあることに対して非常に疑問があるのも事実です。
例えば、起業家支援の会社を稀に見かけるのですが、その中にいる人間はメガバンクやら大手の企業の出身で起業経験がないことが多いです。というよりも起業経験者なおかつうまくいった経験のある人物を見ることはありません。それは当然です、本当にうまくいっているのなら起業支援に踏み出すということはないのだから。
起業家がこうした活動をしているのを見受けるのはガンホーの孫泰蔵氏のMOVIDA JAPANくらいのものではないでしょうか。そのMOVIDA JAPANもうまくいっていません。
起業家育成をすると言うのなら、せめてその企業に起業家経験者がいるか社内ベンチャーを成功させていてから携わって欲しいように思えます。せめてお金を出して同じリスクを背負うVCにそういったことを教わる方が合理的だし心情的にも納得がいきます。だって野球の経験ない人に野球教わりたくないでしょ?
それが当たり前のように起こっているのが今の起業家支援という不思議な現象なのです。
起業家って育成するものなの?
それに起業家って育成したら出来上がるものなのかなーという疑問もあります。もしも仮に教わったことを遂行することのできる優秀な人間がいて、起業の方法もしっかりと熟知した上で起業をしたとします。それ、そもそも起業である必要なくね?って話なんですよね。多くの起業家は社内で事業を行い、その中の一部として活動するのが嫌だったり、多くの報酬を得たかったり、明確に企業の中でできないことをしたかっったりするから起業という選択肢を選ぶんです。
それがものを教わっている時点でおかしくない?という話なわけです。もしもそれでうまくいって起業家に多くの報酬が入ったとしたらそれ自体はそれを指南した企業からすれば納得のいかない話ですよね、社内でやってくれればよかったんだから。教えてできるならば子会社でやらせるはずなわけですよ。なぜ世の中に起業家が出てくるのかというと、大企業の中で教えてもできないようなことに挑戦してそれを達成するからですよね、教えてできるならば起業家そのものが存在しない。
もちろん、起業家っていうのは常に誰の下に属すでもなく決められた道を踏み出すわけではありません。例えばスティーブジョブズが起業した理由はヒューレットパッカードに家庭用コンピューターの商品化を持ちかけたところ断られたことにあります。それまではヒューレットパッカードで働いていました。大企業の枠組みの中では評価のできない人材であり、ビジネスであったから起業に至ったということが言えます。
もちろん、そうした社員に近い形での働きを経ずに起業した起業家もいますが、全体数では少ないのではないでしょうか。なお、堀江貴文氏はアルバイトとしてエンジニアを経てから起業に至っています。
それでもこうした先代の起業家たちに共通するのは、ある一定の枠組みの中で教育を受けたのではなく、自らの意志と選択でそれにいきついているということです。ビジネスコンテストなどで賞金やオフィスの使用権などを得て起業したケースではリブセンスの村上太一氏が挙げられますが、それでも自身の意思で学び、事業を行っています。
教えたらできるというか、教わらなきゃできない人はそもそも起業家になりすらしないのではないでしょうか。
日本では起業家を生もうとするのではなく、ベンチャー企業を支援するべきだ
この記事を読んで頂ければ分かるのですが、日本から世界に通用するベンチャー企業が出ないというよりは、そもそもそうした企業(AppleやらGoogleやらAmazonやら)がアメリカからしか出ていません。日本が悪いということを責めたてるというよりもアメリカがこの上なくすごいということを理解するべきです。それにほんの少し近付いているのが中国くらいです。とはいえ、中国はグレートファイアウォールがあるのでちょっとそれもまた日本とは同列に語れないのではないかなと思います。
もちろん、私自身アメリカ大好きというわけでもありませんし、人が働く場としてはアメリカやシンガポールが最適で日本はかなり下の方に数えているものの、人が住む上では日本は圧倒的に世界一の国だと考えています。全てにおいてアメリカを真似する必要はありませんし、程度の度合いはあれアメリカをある程度コピーしてきた結果が今の日本なわけでその発想はもう使うべきではないのではないかと思います。とはいえ、アメリカから巨大企業が生まれるのには3つほどの要因があるのではないかと考えています。それを日本では見習うまでいかなくとも知っておくべきではないかと考えます。
1、収益性がまだなくても資金が集まる
決して日本に資金が乏しいとは思いません。ところが、それは未知の領域、事業そして新しいこととなると話は別です。日本では今ITベンチャーの中でDeNAの買収したMERY、iemoに代表されるキュレーションメディアが流行っています。それはなぜかというとキュレーションメディアには分かりやすいUU(ユニークユーザー、ざっくり言うと月に何人が見ているか)という指標があり、それを満たすことでVCから資金がくるからです。MERY、iemoが収益化をしていない中で総額50億円で買収されたことはそれだけユーザー数を評価したからです。逆にそういった分かりやすい指標がなく、なおかつ収益化がともなっていない企業には資金がいきません。
簡単に言ってしまうと、アメリカのVCの方が日本のVCより何十倍も資金があるし、それ以上に何百倍勇気があるということです。『これいいね!きっとこれからの時代必要だよ!』と考えればお金を出すアメリカに対し、採算が立った上でお金を出す日本の違いがあります。堀江貴文氏が自身の宇宙ロケットに関する事業について『今は自分が自腹きって年間1億円を投じているけど、アメリカならぽーんと1000億円集まる。この規模の差がそのまま日本の遅れにつながっている』と述べていたのは非常に印象的です。
2、エンジニアの収入が高い
日本で最も高収入な職種と言えば、テレビ局員や商社マン、広告代理店マンなのではないでしょうか。それに対してアメリカのそれは一に投資銀行員、それに逼迫し抜く勢いなのがエンジニアです。こういう区分訳はアメリカではされておらずあまり正確ではないのですが、文系か理系かという違いがあります。
アメリカでは技術者、エンジニアそして数字に強いバンカーが圧倒的に重宝されます。それに対して日本ではいわゆるコミュ力の高い文系の会社員が多くの給料を受け取ります。特に既得権益の恩恵を受けるテレビ局員が日本で最も高収入である事実は日本を象徴しているのではないでしょうか。
それ自体を否定することはありませんし、文系・理系に優劣はありませんが、多くの巨大企業が技術者を多く抱えていること、多くの巨大企業が技術に明るい創業者によって成立していることを考えると、日本でもエンジニア自体の地位を上げることでそうした起業家の生まれる可能性が上がるのではないでしょうか。
3、起業家が称賛される
アメリカンドリームという言葉に代表されるように、アメリカでは一代で財を築き上げた人間はヒーローです。例を挙げれば、スポーツ選手、起業家らが成功を収めた時、多くの人々に夢を与え、民衆はそれらのヒーローを心から称賛することでいつか自分もという気持ちを胸に秘めます。それに対して、日本で象徴的な言葉は『成金』です。古くからの名家など昔からの金持ちはともかく、日本は一代で金持ちになった人間を蔑む傾向が強いように思えます。アメリカンドリームを夢見るアメリカ人に対して、成金を否定することで自分が貧乏のままあることを肯定する日本人の差が出ています。
とはいえ、それは高度経済成長期にはよかったわけです。一億総中流という言葉が記憶に新しいですが、みんなが平均でもその平均がそもそもうなぎ上りに上がっていったのだからみんなが幸せになれます。ところが今の時代はそうではありません、平均でいたらずっと現状維持で夢を見れないわけですから、不満がたまります。全員が中流にというお決まりを胸に抱えた美庶民からするとそこから抜け出した成金は腹が立って仕方ないわけです。
おそらくはアメリカという国自体がイギリスをはじめとする欧州諸国から入植して自由を勝ち取った国であるのに対して、日本という国が島国の中に閉じ込められた村社会の国であることに起因しているでしょう。そう簡単に人々の考えは変わりません。それは500年以上が経った今でもそうでしょう。別に起業家がヒーローであっても悪であってもそれ自体はどうでもいいことですが、少なくとも起業家を生みたいのならそれが称賛されるような国である必要があります。
日本から世界的起業家が出てくるのは難しい
まず、起業家を育てるという考え方は消し去るべきです。そして、残念ながら日本から世界を代表する起業家が出てくることは難しいでしょう。それはもっとも根深い日本人の国民性に原因があります。日本という国自体が起業家に対して優しくないですから、日本人からそうした世界的起業家が生まれることはあってもその起業家はもう日本にはいないであろうと予想されます。だって日本にいるメリットが微塵もないのだから。
日本生まれの人間からそうしたヒーローが出てくることは想像に難くありません。では、その人がそのときも日本人かは正直なところ分かりません。日本からノーベル賞と騒ぎ立てる中、その人物はアメリカ国籍であることと同じようなことが起こるでしょう。アメリカがそういう国だからです。アメリカ人というものの領域をこだわらず、能力のある人間はアメリカ人として歓迎し、最高のサポートと最大の賛辞を送ります。そんな国があるにも関わらずわざわざ規制の激しく、金持ちが罵られる日本に留まるというにはよほどの理由が必要でしょう。日本という国は美しい国ですが、起業家を生める国であるかは疑問でしょう。