茶髪・ピアス禁止に思うこと


学校のルールははたしていきすぎなのか。
そんな議論が物議を醸していますが、組織のあるべき形とははたしてどこにあるのでしょうか。

校則での茶髪・ピアス禁止が議論に

「髪を染めたり、ピアスをすることが、なぜいけないことなのか」――。こんな書き出しで始まる高校教師の新聞投書が賛否を呼んでいる。高校生の茶髪やピアスを禁止することを、「教師の好みを押し付けているだけ」だと批判し、戦中の統制主義を彷彿とさせるとまで言い放ったものだ。

投稿したのは、神奈川県に住む30代の高校教師。実名での掲載で、ネット上では「こんな先生に出会いたかった」と賛同の声が寄せられる一方で、「校則も守れないなら、まともな社会人になれないのでは?」と疑問を表わす声も少なくなく、意見は完全に二分している。

出典 http://www.j-cast.com/

論点としては髪を染めることやピアスをすることを押し付けるのはいかがなものかということです。反対意見としては、校則として、社会のルールとして身だしなみを整えるのは妥当ではないだろうかというものもあります。
細かい決まりを押し付けるのは時代遅れであるという意見と、社会のルールとして最低限の妥当な決まりであるという意見が真っ向から対立しています。

規制にはそれなりの意味がある

結論から言うと私が高校側だったとしても同じように茶髪やピアスを禁止します。ただ、それはどうあるべきかという論点では異なります。学校が茶髪やピアスを禁止すべきかと聞かれたらそれはノーです。学生1人1人の自主性に任せるべきです。この問題が非常に難しいと感じるのは理想と現実のギャップが非常に大きいことでしょう。

たとえ自由な格好をしていても品行方正にしっかりと人格がともなっていれば問題ありません。ただし、それは理想論の話です。多くの高校では規律を設け、学生をある程度抑えつけないと荒れ果ててしまうでしょう。学生を信じ、自主性を重んじるというのは理想論もはなはだしいわけです。

進学校が茶髪もピアスも許可するわけ

ところで、私はこのニュースを見て1つびっくりしました。それは、茶髪やピアスを禁止する学校が一般的にそれなりの数存在することを予想していなかったからです。どの学校もわざわざそんなことを禁止するとは思っていませんでした。私は一応進学校と呼ばれる高校に通っていましたが、茶髪もピアスも全くもって禁止されていませんでした。それどころか進学校の中には私服登校で校則すら存在しない高校もあります。

聞くところによると、おおよそ進学校の方が寛容なそうです。これの事実を見る限り、『やっぱそうじゃないか!自主性に任せた方が生徒の学力も伸びるんだ!』という声も聞こえてきそうです。ところが、そう単純な話ではありません。そもそも進学校はほとんどが荒れていませんからわざわざ禁止する理由がないわけです。別に茶髪だろうがなんだろうが生徒が判断すればいいし勉強は勝手にするし社会のルールも守るわけです。

教育には一定の上下関係が必要になる

私は中学、高校における最重要項目は”上下関係”であると思っています。毎日ケンカをするような不良に暴力の愚かさを訴えればはたして理解してくれるでしょうか?世の中そんなに甘くはありません。論理で人が動くと思ったらそれは大きな間違いです。そんな理想論を掲げていたらあっという間に生徒が犯罪沙汰でも起こすでしょう。

だからこそ、ある程度『学校の決まりは絶対』という状況下に置く必要が出てきます。これはダメだ、これは大丈夫だという判断ができるのなら世の中から犯罪やトラブルなどは消えているはずです。当然、大人の中にもそして高校生ではもっと判断能力が乏しい人間はいるはずです。一定の規律と縛り付けをするということは必要悪とも言えるのではないでしょうか。

会社が厳しいルールを押し付けるわけ

実は、悲しい話ですが、多くの人間というのは自由に勉強や仕事をさせるとパフォーマンスが落ちます。人に支持される方がうまくやっていけるわけです。一部の自分の頭で考え動くことのできる人間のみが自分の中のルールで最適に動けるわけです。ほとんどの人間は何も指示されないと動けません。

これは、ある程度人は企業や学校など自分の所属する組織に依存することが望ましいという結果を示しています。あれをやれこれをやれと絶対的なルールを指示してしまった方が人は働くことができるのです。そして、それ以上に大きいのが社員の裁量(自分で考える範囲)を狭めれば狭めるほど基本的に会社への忠誠心は上がるということです。不思議なもので、自分で色々考えようとすると意識から自立するため、会社への関心が薄まりますが、逆に会社に言われたとおりにやっていると会社の言うことを聞くことが当たり前になってくるのです。

意味のないルールにも意味がある

話を戻しましょう。茶髪だろうがピアスを開けてようがそれ自体は関係ありません。そんなことは個人の自由にすればいい。ただ、組織というものは自由であればあるほど管理が難しくなります。学校ともなればそれは会社以上です。ともなればなんでもかんでもルールを作ることによって学校の言うとおりに従うのが当たり前と刷り込ませることは荒れている学校であればあるほどに大事なことでしょう。

これが、自分を律する能力のある人間であれば話は変わります。ただ、そんな理想的な人間がしかも10代でどれほど存在するかという話です。理想を言えばルールなどない方がいい、ただ人間はルールがないと変な方向へいってしまう愚かな生き物だということでしょう。