戦略コンサルが広告代理店や制作会社を買収するという不思議な事態が起こっている。
その理由は戦略とクリエイティブの垣根をなくそうという動きにあるのだが、はたして今後そういった事態は実現するのだろうか。
進む戦略とクリエイティブの統合
今、戦略とクリエイティブの統合が進んでいる。戦略コンサルが広告代理店やクリエイティブの制作会社を買収するケースが非常に多くなっているのだ。このこと自体は実は数年前から見られたことではあるものの、ここ数年顕著になっているイメージが強い。
ある程度頭打ち感のある戦略コンサルティング会社が広告やクリエイティブ(映像など広告などの制作)の領域に乗り出したとの動きが見られる。いかにもインテリなコンサルと華やかなイメージの広告業界、その2者は相いれないようにも見えるがなぜそうした動きがあるのだろうか。
背景にある戦略コンサルのコモディティ化
コンサルというのは情報の非対称性を売っていると言われる。そのこと自体はコンサルの持つ意味を捉える上で非常に本質的な要素である。コンサルタントがクライアントよりも詳しいからその商売が成り立つわけである。つまり、コンサルは経営およびその周辺にまつわる知識をクライアント以上に要していないと、クライアントからするとわざわざ高いコンサルティングフィーを払う理由にはならない。
ところが、時代も時代である。クライアントはどんどんと賢くなった。コンサルの書く書籍の影響かもしれないし、インターネットで様々な情報が可視化したからかもしれない。戦略コンサルの持つバリュー(情報という価値)が別のもの(本を読むなど)によって安価で取得できることなのかもしれないし、今この文章みたいにやたらとカタカナを使うコンサルのやっていることは実はそこまで大したことではないということがバレたからなのかもしれない。
何はともあれ、コンサルというのは昔よりはちょっと冷ややかな目線で見られている。
コンサルが広告の領域を狙うわけ
では、そうしたコンサルティング会社がなぜ広告という領域に行くのだろうか。まず、コンサルは1にも2にもクライアントワークであるということだ。クライアントがいてそのクライアントのために何かをすることで収益を得るこをしているわけである。自社の商品やサービスを売ることで収益を得るオリジナルワークとは全く異なる。そのクライアントワークの中で戦略の他に何がないだろうかと考えたときに、コンサルティング会社は広告という新たな形を見つけたわけである。
コンサルが情報の非対称性を商売につなげているというのは言うまでもないことではあるが、同様に広告というものも、というよりも広告代理店も情報の非対称性を利用している。大手の企業は広告代理店を挟んでCMを打ったり、様々な広告活動を行うわけであるが、それは広告代理店ではバイイングとかバイヤーとか言われる媒体側(つまり、テレビとか雑誌とか)の人間が常に情報を集めるために日夜足を棒にしているからこそその存在意義があるのであってただの間にいる人なのかというとそれもまた違った話であるわけである。
経営について詳しい戦略コンサルと、媒体(と広告)について詳しい広告代理店はともにその優位性を生かしてクライアントの信用を獲得するわけであるが、こうした構造というのは非常に似ている。同じようにコンサルが踏み込んでいけば広告の領域をとれるのではないだろうかという想像はわりと難しくはない。
コンサルは広告代理店を荒らすのか
では、Amazonが世界中の書店から一瞬で顧客を奪ったように、戦略コンサルは広告代理店の市場を奪うのだろうか。シンプルに考える限り、全裸でタクシーを止めるとかそういう体育会な噂の絶えない広告代理店よりもMBAホルダーを抱え、ロジカルシンキングを武器にするコンサルの方が分がありそうである。
とはいうものの、そこまで現実は簡単なことではない。コンサルティングフィーで稼ぐコンサルと広告枠を売って稼ぐ広告代理店では文化がそもそも違う。決まった時間や期間の中でお金をとるコンサルはハッキリと役割がお金になるが、広告代理店は広告枠にお金を費やしてくれないかもしれない状況でも営業を続けたり、クライアントのわがままに付き合う必要がある。コンサルのやり方をそのまま持っていってもクライアントはそこになびくことはないだろう。期待されている色が違う以上、そこに馴染むことができなければ広告代理店に勝つことはまずできないだろう。
そういった文化の違いから戦略コンサルティング企業が広告代理店の畑を荒らし、広告代理店が存在できないような状況になるという事態はあまり考えられにくい。クライアントに提供するバリューの形(コンサルないしは広告を用いて収益を上げる)は似ているものの、そこで働く人々の色は全く異なる。そういった点で時間がかかりそうだ。とはいえ、コンサルによるクリエイティブの買収は続き、お互いの融合は進むだろう。