勉強しない人間は”悪”であるのか


勉強ができればそれが全てではない。それは当たり前だ。
では、勉強が全くできなくていいのかそうとも言えない実情がある。

学歴社会は世界一平等である

http://kigyo-ka.com/00251/

息子を3人東大理科3類に合格させた母親の話題から学歴社会について触れてみたわけではあるが、はたして学歴社会による弊害というのはどれだけあるのだろうか。1つ言ってしまえば日本は世界最高とも言えるほど公平な社会である。最高の環境である東京大学はどれだけ貧乏でも奨学金を受ければ入学できるし、その入学試験はペーパーテストのみで判断されるという至って平等なシステムである。

アメリカは家柄を入試の項目に織り込んでいるし(もちろんそれを公言はしないが)、イギリスはもっとひどい。韓国や中国は日本を越える超学歴社会なのではあるが教育のインフラという意味では日本の方が圧倒的に整っておりお金をかけずとも偏差値を上げることが出来る。最も平等な社会が日本なのかもしれない。

学歴は能力を表すのか

とはいえ、一般的に学歴は人間の能力を表すのかということについては否定的な考え方が多かった。そもそも学歴という一定のものさしであまりにも画一的に能力を図ることは不可能であり、一次元的な指標でそれを見ることはナンセンスであるとい考え方が大多数を占めていた。人間は社会に出て勉強をするわけではなく仕事をするわけであるからそう考えてもそのことは正しい。

しかしながらそんな学歴の有効性を証明するかのような出来事があった。それが今話題となっているSEALDsである。安保法案に対する抗議を示すデモによって大きくその存在が認知された学生団体SEALDs。彼らの活動に対しては、そもそも選挙による間接民主制によって法案を決めているこの国において選挙という最大の国民の決定をなす場で政治活動を行わない姿勢が批判されるなど、辛辣な意見も様々ある。

sealds
出典 http://www.sealds.com/

そのSEALDsの代表格と言われているのが奥田愛基氏である大学4年生の彼は、出身高校の偏差値が28ということが発覚した。学歴社会を批判する世論ではあるが、こういった際には手のひらを返したように学歴を的にする。やはり低学歴だから、政治の勉強をしていないなどと嘲笑の声も多く上がった。

起業家には学歴はいらない?

政治活動における”知識”についてはやはり学歴に比例するようなきらいがあるのだろうか、勉強ができればできるほど正しい知識に近づくことは言うまでもない。そういった意味では政治家という職業は非常に勉強ができることが大きなウエイトを占める。

ところが、仮にではあるが起業家的資質として奥田氏を見ると非常に優秀な人物であることが分かる。彼は(彼が発端であり創業者扱いできるかは分からないが)、300人ほどの団体を結成しその存在をマスコミを巻き込み日本中に知らしめることに成功した。もしかすると日本国民のうちもしかすると8割が彼らを嫌っているかもしれないが2割が支持をしている。

これが非営利活動である政治ではなく、経営であったらとてつもない利益を生み出しているわけだ。若者たちが自らの主張をするための団体として成り立っていればそこにはコミュニティとしての強い結束力が成り立つ。そこで会費をとったり、グッズを販売したりそんなことをすればその売り上げは年間で億単位は可能であろう。
もちろん、政治というジャンルであるからこそここまで大きな影響力を持っているわけではあるが、仮に奥田氏が勉強のできないバカであったとしてもここまでの成功を遂げることができるという証明になっている。

こうした事例を見て考えると、政治はともかく少なくともビジネスの市場においては勉強ができることは必須でないことが分かる。起業家とは学歴を問わない、頭の良さを問わない職業なのかもしれない。