学歴に対する論争は尽きない。
さらには学歴を巡って争いも起こるし、人間のステータスにもなりうる。はたして学歴社会は正義なのか。
恋愛を禁止してでも大学に受かる
先日の本誌の記事であるが、”恋愛を禁止してでも大学に受かる”そんな考えを持つ親は少なくはない。それだけ学歴信仰は強いし、『いい大学を出て一流企業に入ることこそが幸せ』という考え方がはびこっているのが事実である。日本社会がそれだけ学歴に対する大きな関心・ウエイトを持っていることは明らかである。
大学受験はともかく異常とも言えるのは小学校の入学に対する受験がありそれに対して親が息巻いているということ。小学校受験の塾も存在し、親は大きなお金に時間をかけわずか6歳の子どもに勉強をさせる。もちろんそれをちょっと複雑な遊びと捉えてうまく受験を乗り切る子どももいるだろうが、そのプレッシャーに潰れてしまう子も少なくない。中学受験になるともっと数は増えその熾烈さは増す。小学校受験ほど子どもではないとはいえ、それだけ激しい競争にはいくばくかの懸念が生じることも事実だ。
学歴はあった方がいいのか
この記事では、新卒採用の現場における学歴フィルターの存在について触れている。日本の就活市場、特に新卒での採用について学歴フィルターがあることは明らかであり、企業に設置されている最低ラインに満たないランクの大学である場合にはそもそも説明会などに出席すら許されないという現状である。
採用選考の過程においてどれだけ学歴というものが重視されているかについては謎である。学歴というファクターの選考過程への寄与は測り知ることができないからそれについて考えることは難しい。企業間で画一的な選考が行われていることも考え辛い。
ともなると、学歴が最も影響を与えるのは学歴フィルターでふるい落とされるかどうかということである。基本的に大企業は学歴フィルターがあり、MARCHでも早慶でもふるい落とされる場合はある。そもそも東大・京大以外とらないとされている企業も存在する。
学歴でどれだけいい企業に入れるのかというのは確実なものではないが、フィルターによってふるい落とされ、そもそも学歴のせいで妥協した企業しか受けることができない可能性を考えると学歴はあるにこしたことはない。大企業に入ることを目的とするとほとんど必須の状態にまでなるだろう。もちろん大企業が全てではないが就活において人気があるのは大企業だ。
どんな国にも階級はある
本誌のこの記事で触れたのはアメリカにおける社会構造についてである。そして実は『アメリカンドリーム』に代表され、どんな状況からでも逆転が可能と言われているアメリカはすでに階級社会である。
その度合いは日本の比ではなく、教育が充実していないアメリカでは日本のように全ての子どもが教育を受けることができるわけではない。スラム街もあり、教育を受けている場合ではない家庭も当然存在する。さらに大学では最高峰のハーバード大学をはじめとして大学のランクが上がるごとに学費も上がる傾向にある。奨学金なども充実していないしそもそもペーパーテストだけで入れないから家柄を見られてどんなに勉強をしていても落とされることがある。
そういった意味では日本は最も平等な国なのかもしれない。教育水準は高いレベルにあるし、国立大学ならば年間50万円の学費であるから学生がバイトでまかなうこともできる。奨学金を借りれば地方からでも生活費をまかなうことができる。
学歴社会はこれからも続く
『いい大学に入って、大企業に勤めることこそ幸せだ』という価値観については疑問が残るが、これからもいい大学に入ればいい大企業に入りやすいし、それは収入面での工場にはある程度寄与するということは間違いない。
今後もこの傾向は大いにありうるし、そもそも就活のシステムからして学歴という指標で評価は行われる。
リクナビなどの就活サイトが新卒採用においては多くの学生が企業と接点を持つきっかけとなるわけではあるが、そのシステムは実にハードである。企業側がセミナーの案内を学生に送るなどアクションを起こすたびに数円が1人の学生に対して発生する。実は企業は全ての学生にそうしたことを金銭的理由で行えない。
だからこそ、仕方なくコスト面の問題で企業は学生に対して足切りを行う。学歴以上に便利である指標がこれから出てこない限りおそらくは就活市場は変わらないだろう。
そもそも、大企業に入らなくとも豊かな生活や高い収入を得る方法はある。しかしながらそれは一般的ではない。となると、今後も学歴社会であることは仕方のないことであるのかもしれない。