世間一般的には「楽してお金を稼ぐなんて良くない」という風潮があります。
たしかに、世の中では「楽して稼げる」と謳った情報商材や投資案件をエサに騙す人がいるのは事実です。「楽して稼ぐ」と聞いて、胡散臭いと思うの無理はありません。楽して稼げる方法はあるかもしれないが、それは才能がある一部の人の特権だと思う人もいるでしょう。
しかし、「お金を稼ぐぎたいなら、汗水たらして勤労するべきだ」という常識を疑ってみると、お金を稼いでいる人にはその常識が当てはまらないことがわかります。彼らは、価値に気づく能力があるからこそ、楽してお金を稼ぐことができるのです。
楽してお金を稼ごうとすると失敗する
「楽して稼ぐ方法」と聞くと、怪しい情報商材やセミナーを思い浮かべる人は少なくないでしょう。たとえば、「1日たった5分の作業で誰でも月収100万円稼げる方法とは」といった文言で数万円で販売されている情報商材はネット上でよく見かけます。
その実態は、誰でも稼げると煽ることによって、楽して稼ぎたい人の購買欲求を駆り立て、高額商材を売りつけるネズミ講です。稼げる方法ではないのに稼げると消費者を騙すことは詐欺です。情報商材は情報を商品として扱っているため、販売者と購入者の間に情報量に格差があり、その情報が正しいかどうかを購入前に完全に見分けることは難しいのです。
とはいえ、情報商材自体は詐欺ではありません。情報を商品としているビジネスはいくらでもあります。たとえば、書籍、通信講座、Eラーニング、予備校、コンサルタントなど、これらはすべて情報を商品として販売しているわけです。そのビジネスが消費者のためになる情報を提供している商品であれば、それは立派なビジネスです。
情報商材の中にはアフィリエイトで稼ぐ方法をきちんと解説しているものもあります。しかし、アフィリエイトで稼ごうとサイトを運営している人のほとんどが1万円も稼げていないのも事実です。なぜ、ネット上にノウハウが出回っているにもかかわらず、稼げている人が少ないのかというと多くの人は途中で挫折してしまうからです。楽して稼ぐといっても、稼げる段階まで到達するのは「楽」ではないのです。
アフィリエイトで稼ぐ場合、一旦、収益が発生するサイトを作ってしまえば、半自動的に収入を得られるので楽に稼ぐことができます。しかし、そのサイトを作るまでにはSEO、商品に関する知識、文章の書き方を勉強して、膨大な記事を書くという作業があるため、その過程は決して楽というわけではありません。何の努力をしなくても稼げると考えている人が多いのか、途中で挫折する人が多いのです。挫折せずに最後まで続けられる人は楽器でも勉強でもスポーツでもどんな分野でもはほんの一部なのです。
汗水たらして労働はおかしい価値観
このように、楽して稼ぐ方法を聞いたとしても、単なる嘘だったり、または途中で挫折してしまうために、結果として「美味しい話なんて転がっていない」「楽して稼ぐことは無理だ」「やっぱり真面目に働こう」という心理になります。そして、会社に勤めて真面目に働いて出世することこそが多くのお金を稼ぐ最良の手段だと思い込むわけです。たとええ、収入を増やすチャンスに出会っても、多くの人は給料をもらう以外でお金を稼ぐ方法はないはずだと、考えることをやめて真面目に働き続けます。
楽をして稼ごうとしない心理には、実際に稼げる、稼げないという観点だけでなく、日本人のお金に対する価値観が大きく影響しています。そもそも、楽をして稼ぐことは悪いことなのでしょうか。会社に勤めて真面目に働くことが良いことなのでしょうか。少なくとも現在の日本の教育では、お金儲けは良くないことだと教えられています。お金儲けは卑しいこと、悪いことという考えが浸透しています。一方で、勤労が美徳だと教えられていて、いい企業に入って出世することが良いことだとされているからこそ、誰もがそこを目指すわけです。しかし、お金のために必死になって出世をしたり、働いているにもかかわらず、楽してお金儲けをしてはいけないというのは矛盾しています。
日本において、マネーリテラシーを引き上げる教育が行われない背景には、大衆にお金に関する知識をつけて欲しくないという思惑があります。お金儲けは汚いことだと思わせることで国民はお金について勉強しなくなります。日本人は他の人と同じことをするべきだと教えられていますから、意図的にお金儲けは汚いという「常識」を作り出すことで、国民をコントロールしているのです。
国家にとっては思考停止している国民ほど操作しやすいですし、企業にとっては思考停止している従業員ほど扱いやすいのです。たとえば、多くの企業で、なぜか副業が禁止されています。しかし、民間企業の社員が副業をしてはいけないという法律はありません。建前としては機密保持や本業に支障をきたさないようにということですが、本音は社員に独立されたくない、社員にかけた教育費が無駄になるといった理由です。優秀な社員であればあるほどやめられると会社側は困るのです。
このように、社会ではあらゆる洗脳がはびこっており、お金を勉強する機会などありません。その結果、お金の本質が理解することができず、お金を稼ぐには給料をもらうという方法しかないという思考に至るのです。
お金の本質は価値提供
多くの人は労働こそがお金を生む源泉だと信じています。しかし、実際にはお金は労働の対価として発生するものではありません。お金とは価値を与えた対価として受け取るものです。価値提供こそが本質だと考えると、働かなくても楽してお金を稼ぐ方法があるのも説明がつきます。
たとえば、マンションを所有していて部屋を貸し出すことで不動産収入を得ている人、大きなサイトを作って広告収入で暮らしている人、株式を売買して大金を稼いでいる人も価値を提供しているからこそお金を得ているのです。価値を提供しているのであれば、働こうが働かまいが関係なくお金は入ってきます。つまり、労働も価値を提供する方法ですが、あくまで一つの手段にしか過ぎないのです。
労働することでお金を稼ぐことはできますが、サラリーマンとして提供できる労働力には限度があります。よって、短いスパンで給料が大きく増えるわけではありません。
一方で、楽に稼いでいる人のほとんどが自分でビジネスをしたり、投資をしているはずです。ビジネスや投資においては、与えられる価値の大きさには限度はないため、より多くのお金を稼ぐことができます。
下記の記事でも解説していますが、儲かる仕事の多くは経営者や投資家なのです。
さらに、自動化することによって自分が働かなくても価値を提供できるというのが重要です。サラリーマンの場合、自分の仕事を他の人に任せたりして労働を自動化することはできません。一方で、たとえば、ビジネスを行うのであれば、人を雇って作業を従業員に任せたり、仕事を外注することで、自分が働かなくても価値を提供できる仕組みを作ることは可能なのです。
競争するほど相対的に価値は低くなる
お金は価値提供だという話をしましたが、相対的に価値の低いものを提供しても大きなお金にはなりません。どういうことかというと、ある需要に対して供給が多すぎたり、自分より良いものを供給している人がいれば、あなたが提供している価値は相対的に低くなります。
たとえば、砂漠でミネラルウォーターを販売すれば、高額で売ることは可能ですが、東京の街中でミネラルウォーターを販売したところで高値では売れませんよね。需要に対して供給が少なければ価値は高まりますし、供給が多ければ価値は低くなります。
これは、お金を稼ぐことも同じです。他の欧米先進国と比較して日本の新入社員の初任給が低いのは、会社にとって相対的に価値が低いからです。他国ですと大学の専門分野を生かせる仕事をするため、入社時点でスキルによって差別化ができています。しかし、日本の場合、大学の教育はもはや形骸化しており、スキルのない同年代の人間が横並びで入社するわけですから、一人一人の給料は低くなります。
横並びは同年代の人間と同じことをしているという安心感は得られますが、他の人と同じということは他の人より恩恵を受けることはできないということです。満員電車も同じ時間帯に皆が乗車するから、混雑して辛くなるわけです。電車に乗車してレールの上を走っていれば、何もせずとも目的地に到着することができます。しかし、乗車する時間帯をずらしたり、他の交通手段を使えばもっと楽に到着するのです。
何が言いたいのかいうと、他の人と同じことをしていても稼げるはずがないということです。他の人と同じ行動をとればとるほどあなたの価値は下がり、お金は離れていきます。
マーケット感覚とは
とは言え、皆と同じことをしていても価値が低いなら、とりあえず他の人と違うことをしろと言っているわけではありません。
1848年、アメリカ・カリフォルニアで起こったゴールドラッシュ時には、一攫千金を狙って多くの人々が殺到しました。実は、このゴールドラッシュで一番儲けたのは金を掘り当てた人ではなく、ツルハシやシャベルなど、金を掘る際に必要な道具を販売した人たちだったという有名な話があります。彼らは他の誰よりも早く何が価値になるかに気づいて、行動したからこそ大金を稼いだのです。
彼らがなぜ、大儲けできたのかというとこの価値に気づく能力があったからです。楽にお金を稼いでいる人たちは価値に気づく能力に長けています。たとえば、不動産投資はどの物件が価値が上がるかを見極めることができなければ、投資は失敗しますよね。
多くの人は稼ぐ力をつけようとすると、資格を取ろう、英語を勉強しよう、と考えます。しかし、資格を取得しても英語ができるようになってもお金を稼げるようになるとは限りません。スキルをつける以前に、何に価値があるのか、どんなスキルに価値があるのかを見極めることが必要なのです。
自分が価値があると思っていても、消費者側、お金を支払う側に立って価値があるのかを見定める必要があります。
「ドリルを売るには穴を売れ」というマーケティングの本では、価値とは何なのかがわかりやすく説明されています。たとえば、ホームセンターで電動ドリルを購入しようとしている人はドリルに何を求めているのでしょうか。ドリルを購入したい理由は穴を開けたいからです。ということは、ドリルを買う人にとっては「穴」自体が価値であって、穴を開けられるのであればドリルはなくても構わないわけです。だから、販売員がいくらドリルの素晴らしい性能や特性を述べたところでお客には響きませんし、押し売りされたと感じて逃げてしまうかもしれません。
もし、ちょっとだけ穴を開けたいだけだったら、その場で穴を開けてあげればお客は満足します。穴を開けであげた結果、お客がその場でドリルの購入に至らなくても、接客を気に入ってそのお店自体のリピーターになるかもしれません。このように、求められている価値は何なのかを見極め、その価値に見合ったものを提供する必要があるのです。
価値に気づけば楽して稼ぐことはできる
では、どうやってこういった価値に気づく能力を鍛えれば良いのでしょうか。
世の中で販売されている大抵のものは◯◯円という価値が決められています。コンビニの商品にはすべて値段がついており、いくらの価値があるものかは明白です。しかし、普段生活していると売られている商品の価値はわかっても、自分が持っているスキルはいくらぐらいの価値があるのか、値付けすることは難しいことに気づきます。消費者として商品を消費している限り、未だ値付けされていないものの価値に気づくことは難しいのです。
自分が持っているスキルには価値があるのかを見極めるには、市場からフィードバックをもらわなければわかりません。そのためには、早くから自分でビジネスをしてみて、市場からの評価を受けて、改善していくことが必要です。それは、営業代行をするでも、プログラミングをするでも、サイトを作るでもなんでも構いません。とにかく市場に身を置き、何が価値があるのかを知ることが重要です。
価値に気づくためには、できるだけ市場に近い場所に身を置く必要があるのです。したがって、一消費者としてただ遊んでいるだけではこういった能力はつきません。多くの学生は、大人たちの「今のうちに遊んでおけ」という言葉を信じていますが、時間は投資に使うべきものです。何も考えずに遊べば遊ぶほど、会社に所属しないと生きていけない人材になっていき依存せざるをなくなります。もし、投資する時間を作り市場に身を置いていれば、何に価値があるのかを理解し、結果的にお金を稼げるようになります。たとえば、学生であってもエンジニアとして月数十万円のお給料をもらっている人はいます。彼らは、新しい技術を吸収しようと努力するので市場価値の高い人材になっていくのです。
こうして、価値に気づく能力を磨くことで美味しい話はやってきます。正確にいうと美味しい話だと気付けるようになります。金塊が落ちていたとしてもそれに気づかなければ、お金は稼げませんが、金塊を見抜く能力が身につけば稼げるようになるのです。価値を見抜き、価値のあるスキルがつけばつくほど楽に稼げるようになります。