DMMを作った男亀山敬司が語る経営哲学


最近になってDMMに関する情報が多く出てきた。
数々の多角化した事業を成功に導いているDMMを作った男が語る経営哲学とは。

最後のユニコーン企業DMM

日本にあるユニコーン企業と言えば、LINEにメルカリだろう。(厳密には親会社である韓国企業NAVERが100%の株式を握るLINEは外資系企業である。)
そして、もう一つ忘れてはいけない。それがDMMだ。

DMM.comといえばアダルト、ゲーム、DVD、FX、英会話とオンラインを軸に事業を手掛けることで知られている。そしてその事業規模はサイバーエージェントほどである。未上場であることから、ユニコーンの一員であってもおかしくはない。しかし、株式を会長である亀山敬司氏が握っているためにその評価額が出されることはなく、間違いなくユニコーンでありながらも認識されることは少ない。

今では、2014年にスタートした『DMM.make AKIBA』というものづくりのプラットフォーム、製造・販売・流通をワンストップで展開する『DMM.make』事業など、その事業は留まることを知らない。今まで謎のベールに包まれていたDMMと亀山氏が語る事業の核心とは何だろうか。(出典 http://www.recruit-lifestyle.co.jp/

業種を問わない経営

もともとDMMは1980年代に石川県加賀市のレンタルビデオ店からスタートしている。亀山氏は露天商を経営するなど、根っからの商売人で、最終的に定着したのがレンタルビデオ店だったという。そこから、アダルトビデオの利権を買い取り、店舗へと卸す仕事に進む。

そこから今では、アダルトのみならずインターネット証券に英会話などの様々な事業へと進むのであるが、DMMではビジネスの種を持ってくるのは若い社員や外部の人間であるという。アイディアについてそこまでこだわりはなく、その場の思いつきな部分も多いようだ。大ヒット作品となった艦隊これくしょんなどは亀山氏は当初全く乗り気でなかったが、とりあえずやってみたらヒットしたと語っている。

我々がよく知っている以外にもDMMは太陽光発言や、バイオマス発電のプロジェクトも行っている。まるで総合商社のような手広い事業の形態はこうしたフットワークの軽さから生まれている。

DMMはビジョンを持たない

そして、DMMの現在の目玉の一つが、DMM.Africaである。他の企業に先駆けてDMMはすでにアフリカ進出の宣言をしている。そのきっかけが亀山氏の20代から続くバックパッカー体験にあるのだという。亀山氏は、通訳もつけず計画も立てず、帰りの航空券だけを買って旅に出る。その中でビジネスのヒントが生まれるのであるが、2015年夏にいったアフリカでの経験からDMM.Africaが生まれたのだという。

DMMはビジョンを持たないのだという。そしてそれはDMM最大の強みであるという。世界の名だたる企業が誇り高きビジョンを掲げるのとは真逆である。あえてビジョンを持たず、その場の流れに任せて経営をする。これが、DMMが成長し続ける理由なのかもしれない。